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部落の起源 その2

1 :じゅうべい:02/01/11 08:48 ID:GiRPi4sB
松本氏の要請で新スレを立てることになりました

前スレ「部落の起源☆ ☆ ☆」
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/rights/992514418/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 08:52 ID:GiRPi4sB
とりあえず、松本氏が主張する俘囚説に対する私の疑問を
前スレからコピペしておきます

945 名前:じゅうべい 投稿日:02/01/10 13:06 ID:Te78l0Cw
@古代の俘囚から中世の「非人」などへの移行が不明な点が多い

俘囚の中にも「俘囚田」を与えられて農耕に従事するものもいたはず
それがそのまま「非人」などに結び付くのかが疑問である

A中世の多彩な「職人」の活動が説明できない

『七十一番歌合』などを見ればわかるように、中世に社会的に賎視されて
いたと考えられる「職人」は多岐にわたっている
その起源を俘囚だけに求めることができるのかは疑問である

B肉食の「ケガレ」はそれほど忌避されていなかった

延喜式での触穢規定では人の死の「ケガレ」が30日、産の「ケガレ」が
7日であるのに対し、肉食の「ケガレ」は3日と短い
このことから肉食の「ケガレ」だけで説明できるかは疑問である

これらの点から俘囚説に対しては疑問を感じています

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 08:54 ID:GiRPi4sB
もう一つ、松本氏が否定していた「部落間のネットワーク」の
具体的な事例も前スレからコピペしておきます

946 名前:じゅうべい 投稿日:02/01/10 14:03 ID:Te78l0Cw
松本氏が否定していた「部落間のネットワーク」についてですが、江戸
時代のいろいろな例を挙げることができます

@西日本では牛馬の皮は摂津の渡辺村に集められ、播磨の高木村
 へと送られて加工されていた
A丹後の15の部落で、一年ごとの持ち回りで行われていた真宗寺院
 の行事に、丹後からだけではなく、丹波や但馬からも人が集まった
B備前から摂津まで買い付けに行った博労が、その途中で死んだ牛を
 谷底に捨てたことが問題になった
C武州の鼻緒騒動や備前の渋染一揆の祭には、かなり広範囲の部落
 から「穢多」が集まった
D近江の非人が京の非人村の支配下に入り、京での行刑・警吏などの
 職務にあたっていた

これらの例があることから、「部落間のネットワーク」の存在は明らなの
ではないでしょうか
(もちろん、部落間での通婚もあったでしょう)

4 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/11 09:03 ID:9yLI7vUb
とりあえず、一番のり記念カキ子。。。

5 :じゅうべい:02/01/11 09:04 ID:GiRPi4sB
俘囚説への疑問の@に関して、松本氏は「こんな事は当り前だから書く
ことじたいおかしい」と書いていますが、その「当り前」のことに対しての
具体的な説明もなく、「一般にはエゾと呼ばれていた」人たちがどのような
過程を経て、被差別部落の起源になっていったのかの説明がまったくと
いっていいほどされていません

また、「非人は江戸時代とそれ以前では性質が事なる 基本的な事を
知らないと話にならんよ」とも書いていますが、古代や中世の「非人」に
関しても具体的な説明がされていません

これらの点に関して、皆様からのご意見をお待ちしております

6 :じゅうべい:02/01/11 09:08 ID:GiRPi4sB
前スレで白山東光氏からこのようなレスを頂きましたので、それも
こちらにコピペさせてもらいます

948 名前:白山東光 投稿日:02/01/10 21:55 ID:5A+JrQqD
>じゅうべい様

>俘囚の中にも「俘囚田」を与えられて農耕に従事するものもいたはず
ご指摘の通り、延喜式のなかにも偏戸の民となった例が多く見受けられます。
また、偏戸の民となった俘囚の中には官位を授かったケースが多くあります。
その一方で、甲斐の国、下総の国、上総の国などで大きな反乱を起こしており、
農民化しなかった俘囚も多かったと考えています。

大伴氏に率いられていた「佐伯部」などについてはどのようにお考えでしょうか?
また、太宰府防衛のために多くの俘囚が防人として配置されています。
九州の松浦党はこの末裔との説があるそうです。
農民化しなかった俘囚は中世に悪党、山賊、海賊、湖賊といった集団に
吸収されていったのではないだろうかと考えております。


949 名前:白山東光 投稿日:02/01/10 22:31 ID:5A+JrQqD
>中世の多彩な「職人」の活動
『七十一番歌合』には職人として穢多が出てきますが、
その他に様々な職人が同列に扱われておりますね。
網野善彦先生の著書を最近読み始めました。
じゅうべい様ご指摘の通りですね。
今後このあたりについてはじっくり考えて行きたいと思っています。

>肉食の「ケガレ」
この「ケガレ」感は庶民まで含めた中世社会共通の認識であったのでしょうか?
近世に入っても将軍家に対して「薬」としての牛肉のみそ漬けを但馬あたりの
藩が献上した記録があります。
肉食の「ケガレ」は貴族階級のものであり、もしくは京都を中心としたものであり、
鎌倉武士や庶民は通常に食していたのではないかと、考えておりますが
いかがでしょうか。

7 :参考:02/01/11 11:13 ID:EyeeOFn8
大阪の非人村の来歴

@天満の「非人村」
 発祥は「四ヶ所恒外由緒書上控」によれば、寛永三年。(1626)
A道頓堀の「非人村」
 発祥は元和八年。(1622)
B天王寺の「非人村」
 発祥は四天王寺非田院との関係で中世に遡ると考えられるが、
 近世の「非人村」としての成立は、
 「四ヶ所恒外由緒書上控」によれば、文禄三年。(1594)
C鳶田の「非人村」
 発祥は慶長十四年。(1609)
D高原の「非人村」
 発祥は「大阪市史・第一」によれば、元禄三年。(1691)である。

色々書いてたけど、レプラを集めて非人に管理させてた、
(その後独立)とかある。

>鎌倉武士や庶民は通常に食していたのではないかと
 そうだったと書いてた本があったよ。
 また探してみる。
 近江から牛肉の味噌漬を送ったという記録もあったような。
 あいまいでスマソ。
 歴史街道でやってたんだよ。

8 :松本治一郎:02/01/11 19:56 ID:vhMGPdrU
これだけの内容を一度に書く義理があるのか ?
とも思うが暇な時にでも潰していってやるよ

とりあえず良く調べた。それだけは誉めてやる。
まず致命的な欠陥としてほとんどの内容が江戸時代の非人についてであり
穢多に関するものが少ないという事。
非人というのはその種類は様々だが、基本的にはこじきであり
落伍者であるから、蝦夷を起源とする穢多とは別に考える必要がある。
この点を理解していないという事から君が単に本の丸写しであるという風に
私は理解しているんだがどうだ ?
そもそも江戸時代に非生産階級である賎民を穢多と非人と大きくわける必然があったから
そのように分けたわけだしね
本来ならどちらも必要がない連中なんだよ。

まず
>@古代の俘囚から中世の「非人」などへの移行が不明な点が多い
だから非人ではなくエソになったと言っているだろ
前述だが、鎌倉時代にもエソ村の存在が確認されている。
蝦夷が起源でないとするのなら違う起源を具体的かつ明確に示したまえ

>「一般にはエゾと呼ばれていた」人たちがどのような
過程を経て、被差別部落の起源になっていったのかの説明がまったくと
いっていいほどされていません

失礼な奴の一言だな。過去ログ読んでからこい。バカかお前は

9 :松本治一郎:02/01/11 19:56 ID:vhMGPdrU
>古代や中世の「非人」に関しても具体的な説明がされていません

これはその手のどの本にも書いてあるから読んでからにしてくれ。
常識をだらだら書かなければならないわけかね ?

非人という階級は少なくとも存在はしない。
要するに仕事を放棄して逃げ出した人たちだよ。
だから江戸時代のそれとは同じ部分もあるが
制度として固められていないためその性質はちょっと違う。
だからといって元の階級にいとも簡単に戻れたわけではないけどね。

>部落間のネットワーク
これについては悲惨の一言だな
内容と結論が一致していないし、穢多とはほとんど関係のない非人の話だろ
唯一、一揆の件は該当すると思うが、一揆というのは命がけだろ ?
関所を抜けて連絡をとったのかもしれんね。
農民なら代表者の命ですむだろうが、
賎民なら死罪という連中も多かっただろうね

それがなぜネットワークにつながるのかをまず説明してくれ。

それとな江戸時代、封建社会の身分制度や穢多非人の管理なんかの基本的な
知識をまず頭に入れてくれ。
それに人に物をたずねる時は低姿勢にすべきだと思うよ。

10 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/11 20:12 ID:9yLI7vUb
あんさん人をバカと言うのやめんシャイ。
話がふくらんでいかないでしョ。。。

11 :大阪の人 :02/01/11 20:23 ID:rrYUKLP6
とんでもない差別発言を繰り返している馬鹿がいます。
正義感に溢れる方、どうか助けてやって下さい。
http://pc.2ch.net/test/read.cgi/isp/1009144723/842

12 :もっこす(解同消滅までお付き合い) ◆08EeniEM :02/01/11 20:51 ID:7Pq9yJq2
どこらあたりが差別なんですか?
一面的ではあるが、関西人に対する正統な批判だね。

13 :じゅうべい:02/01/11 22:12 ID:GiRPi4sB
早速レスを頂きありがとうございます
では、松本氏のいくつかの質問に対して自分なりに答えていきます

現時点ではは建治元年(1275)の『名語記』に「河原ノ辺ニ居住シテ
牛馬ヲ食スル人ヲエタトナツク」とあるのが「エタ」という語の文献上の
初出だといわれています
永仁4年(1296)の『天狗草子』には「穢多童」が登場し、その傍らには
皮を干す光景が描かれています
これらのことから、鎌倉時代中期には河原に居住し、皮革加工に従事
する「穢多」が存在したことは確実です
また、この頃すでに「穢多」と肉食の「ケガレ」が結び付けられていたこと
も確実です

しかし、現時点では「穢多」の出自を「エソ」に求めるような記述は見出され
ておらず、この時期に活動していた多くの「職人」の中で、牛馬の死骸を
扱うことから皮革加工に従事するものが特に「穢多」と呼ばれたと考える
のが妥当なのではないかと思います

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 22:21 ID:t8/uJb/a
その時期の「職人」ってのは低い身分だったの?
食肉関係という身分が先にあってそれから技能が発達したのか
それとも技能が先にあってそれから身分として固定されたのか
も気になる。

15 :大阪の人:02/01/11 22:23 ID:0gcvZbjl
差別発言を繰り返す馬鹿が暴れて困っています。
正義感に溢れる方、どうか助けてやって下さい。
http://pc.2ch.net/test/read.cgi/isp/1009144723/842

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 22:31 ID:NFFsOtEl
部落発祥=皮膚病患者隔離説など唱えている人は、
騙されたと思って隆慶一郎の小説を読んでみて欲しい。
特に「吉原御免状」あたりが最適。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 22:36 ID:NFFsOtEl
おっと書き忘れた。
部落差別の元になるものは中世からあったが、
徳川家康、秀忠の時代に法律によって「制度化」されたのだ。

18 :じゅうべい:02/01/11 22:40 ID:GiRPi4sB
中世期の「穢多」は「河原者」や「キヨメ」とも呼ばれ、いつ頃からかはよく
わかりませんが、太閤検地が実施された頃には「かわた」という呼び方が
定着したようで、検地帳に「かわた」村という肩書きが見られるようになって
いきます

「穢多」の起源が「エソ」なのだとしたら、中世期の文献にそのような記述
があったとしても不思議ではないでしょうし、検地帳にも「エソ」村という
肩書きがされていても不思議ではないと思います
しかし、そのような記述は残されておらず、「穢多」の起源を異民族だと
する文言は江戸時代の後期になるまで登場しません
この点に関して松本氏はどのようにお考えなのでしょうか

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 23:01 ID:zp/wI2JA
むう、前スレより強力な松本に対する反論者が出てきて
面白くなりそうだね。
今後を期待。

20 :じゅうべい:02/01/11 23:04 ID:GiRPi4sB
>>14
まずここで注意する必要があるのが、中世期の「職人」という表現は
工業、商業、芸能、宗教などの幅広い分野にわたって使用されている
ということです
例えば『七十一番歌合』には142種類の「職人」が登場しますが、その
中には「壁塗」「鍛冶」などの工業者、「油売」「扇売」などの商業者、「琵琶
法師」「田楽」などの芸能者、「陰陽師」「山伏」などの宗教者、その他にも
「相撲取」「連歌師」など、現代の感覚では「職人」だとは考えにくいものも
多数あります

そのような「職人」が低い身分だったかといえばそうではなく、差別視され
ながらも、その反面では神聖視されるという、これまた現代の感覚では
考えにくい存在であったといわれています
(すべての「職人」がそうだったわけではありません)

21 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/11 23:06 ID:9yLI7vUb
>19はげしく同意。
冷静にたのみますワ。。。

22 :じゅうべい:02/01/11 23:12 ID:GiRPi4sB
>>20で書いたこととも関連しますが、「ケガレ」ているとされた「穢多」が
「キヨメ」とも呼ばれ、祭礼の際には神輿の渡御に先立って道を「キヨメ」る
役割を果たし、日常でも寺社や禁中の清掃をすることで「キヨメ」る役割を
果たしていたということから考えても、「穢多」の起源が古代の王権により
隷属させられた俘囚だとは考えにくいのではないでしょうか

23 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:20 ID:emB2sHfK
塵袋ですね

24 :ありさん:02/01/11 23:21 ID:HLg0IGtI
>>18
 確認がとれていないことですが、検地帳に「かわた」が記載されている最も古い資料が、関西の某地区にあります。ここの区長さんは校長まで勤めたことがあるので、その資料の重要性が分かっておられます。
 しかし周囲の人が、それを公表したらうちの地区が部落と宣伝するものだ、と激しく反対されてそのまま倉の中に死蔵されているといいいます。何でもかつてその一部が漏れて、部落問題研究者が次々とこの地区を訪れて、地区の人たちが迷惑したことがあったそうです。
 部落史の研究は、まだまだ難しいものです。部落差別はなくなった、と断じるのことはできないと実感する時があります。

25 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:27 ID:emB2sHfK
エタの語源を餌取若しくは恵止利とするのは疑わしい。
餌取の前身鷹戸は古代に於いて賤民の雑戸より身分の少し上の
品部に属していた。したがって餌取の前身である鷹戸が賤民的な
帰化人の子孫であるという説明はきわめて無理がある。

26 :松本:02/01/11 23:31 ID:pR4yVUxc
熱意は買うが
いわゆる神社こじきは非人だよ
掃除や死体の処理なんかをしたわけだから
江戸時代の非人と大差ない。
それと部分ごとに仕切ってくれないかね ?
あちこち議論が飛ぶと大変だから
職業の貴賎については先に賎民ありなんだよ。
単純に賎民がやる仕事だから卑しいっていう事。
士農工商からのがれた連中でも飯を食わなきゃ死ぬ。
だからこじきをやる。でもお金がもらえないから
芸をやったり掃除をしたり・・・という風になっていったわけ
賎民がやる仕事だから卑しいという事になるんだよ

27 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:32 ID:emB2sHfK
エタの前身が餌取であったことが疑わしく、
さらに餌取の前身が帰化人の子孫であることが疑わしきとすれば
エタの先祖が帰化人であると言う図式は各所でとぎれる。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 23:34 ID:pR4yVUxc
とにかく江戸時代とそれ以前は分けないと話にならない

それと蝦夷でないとするなら起源は何だ ?

29 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:35 ID:emB2sHfK
なぜ近世に行ってしまうのだ>士農工商>松本?

30 :松本:02/01/11 23:37 ID:pR4yVUxc
>>29
お前は見てるだけにしろ

31 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:41 ID:emB2sHfK
分けて考えるのなら連続性の無い部落の起源で成立する。>>28

32 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:42 ID:emB2sHfK
旗色悪いね>松本

33 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:43 ID:emB2sHfK
松本煽りはいいから>>25>>27のことについて反論してね。

34 :松本:02/01/11 23:44 ID:pR4yVUxc
>31
だからお前はうっとおしいんだって
そういう事ではなく
江戸時代り穢多非人、特に非人は
それ以前とは性質が違うからだって

必要の無い書き込みが増えるから興味があるのならしばらく黙視してな

35 :松本:02/01/11 23:46 ID:pR4yVUxc
>33
初めから帰化人なんて言ってないだろ
独り言をお前が書いてるだけ
気違いは困る

36 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:48 ID:emB2sHfK
お前さん蝦夷と言うのは何ぞや?>>35

37 :松本:02/01/11 23:50 ID:pR4yVUxc
>36
お前ただの嵐だな
全然読んでなかっただろ ?
蝦夷 = 縄文人 = 日本の先住民族

お前も過去ログ読んでこい

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/11 23:55 ID:uDmo5x7p
>>32
調子づくのは、おまえの悪い癖だよ。
何度と遁走を繰り返してることか。
これ以上は、自スレでやれ。

39 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/11 23:58 ID:emB2sHfK
松本のカキコ読んでると
なんか大和朝廷から見た異民族=蝦夷(縄文人)のような気がするが。

40 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 00:06 ID:WZgcyGAc
隈元浩彦「日本人の起源を探る」 新潮OH!文庫
浅田秀子「敬語で説く日本の平等・不平等」 講談社現代新書
石渡信一郎「日本古代国家と部落の起源」三一書房
井沢元彦「逆説の日本史」小学館

ここいらの文献をもとに松本は 蝦夷という定義をしているのだろうから
矛盾しているね。

41 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 00:26 ID:WZgcyGAc
帰化人ってのは帰服した蝦夷=俘囚ってことで書いてたんだけど。

42 :差別あるのかな:02/01/12 01:13 ID:Fx4+ZkYl
松本某よ
バカはやめろ。
カコワルイヨ

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 05:22 ID:cL4gY0R1
お前は見てるだけにしろ
     ↑
最高!(・∀・)カコイイ!

44 :白山東光:02/01/12 07:17 ID:SJ2VeBW7
>>22
話が戻ってしますのですが、「キヨメ」に関しての私見を述べさせていただきます。

被差別民を表す言葉としては「穢多」よりも「河原人(者)」や「坂の者」の方が
古くから資料に表れています。河原人が死亡した牛の処理を行った記録は平安期の
1016年の資料に表れており、「穢多」よりも100年以上前のはなしです。

さて、室町期には河原者と呼ばれた中には芸能民や善阿弥に代表される
庭師などがいたことが知られています。
河原者や坂の者が行ってきた様々な「キヨメ」が後年、細分化され特定の
職能を担う被差別民として成立してきたのではないでしょうか。

皮革を扱った者→穢多、かわた
葬送を扱った者→穏防
神社仏閣のキヨメ→犬神人
行刑に携わったもの→放免、非人
土地のキヨメ→山水河原者、陰陽師、博士
芸能→猿楽、舞々

このように分化していったのではないでしょうか。

45 :じゅうべい:02/01/12 07:56 ID:/hNLfVNg
俘囚説への疑問は「穢多」の語源に関連しても指摘することができます
文永・弘安(1264〜87)頃に成立した『塵袋』に「キヨメヲエタト云フ」の
は「根本ハ餌取ト云フベキ」とあり、「餌取」から「穢多」へとなったという説
が有力なのですが、もしも「穢多」の起源が俘囚なのだとしたら、『塵袋』
でも「エソ」から転じたものだと書いたのではないでしょうか
わざわざ「エトリヲハヤクイヒテ、イヒユガメテエタト云ヘリ」などとする
必要はまったくなかったはずです

また、「餌取」が鷹の餌として捕らえていたのは小鳥や犬猫などの小動物
であり、牛馬の皮革を扱う「河原者」とは結び付けることはできないのでは
ないでしょうか

46 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/12 08:20 ID:JZmOt5qL
394 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/06 20:22
蝦夷(エミシ)に付いては景行天皇の頃
三輪山の付近に住まわせたが騒ぐし1ヵ所にじっと
してないので4ヵ所に別けて住まわせたと記録にあるが
信頼できないので色々な説が出てくるそれが日本の歴史とも言える。
このころは単に雑役させていたぐらいで起源とは言いにくい。
正月に『蝦夷』高橋崇 中公新書をやっと読み終えましたが
律令国家が出来あがり税を徴収しだす。税を払いたくない人が
川原あたりでブラブラしだす。このころはまだ遊民と言ったぐらい
税を出している人から苦情が出だしたのでチョツトいやな仕事をやらす。
人別帳とか寺の過去帳が作られて継続することになる。

いまのところこんな感じに思っているんですが。。。

47 :じゅうべい:02/01/12 08:43 ID:/hNLfVNg
>>9
「穢多とはほとんど関係のない非人の話」ではなく、5例のうち4例は
「穢多」に関する話です

@は「牛馬の皮」と書いていますように、明らかに「穢多」の話です
Aの15の部落はいずれも「穢多」村でしたので、これも「穢多」の話です
Bの備前の博労が「穢多」であったかはわかりませんが、これに関連して
取調べを受けた者の中に、近江の「穢多」がいますので、他国まで牛馬
 の買い付けに行く「穢多」が存在していたことは明らかで、よってこれも
 「穢多」の話です

これらのように他領への移動が制限されていたわけではなく、広範囲に
わたる活動を行っていた「穢多」の存在は明らかであるのに、これらが
「部落間のネットワーク」ではないといえるのでしょうか

48 :じゅうべい:02/01/12 08:51 ID:/hNLfVNg
>>26で「いわゆる神社こじきは非人だよ 掃除や死体の処理なんかをした
わけだから 江戸時代の非人と大差ない」と書いてますが、>>9では「江戸
時代のそれとは同じ部分もあるが 制度として固められていないためその
性質はちょっと違う 」ともとも書いています

江戸時代以前の「非人」と江戸時代以後の「非人」との相違というのは、
制度化されているかどうかという点だけなのでしょうか
また、古代・中世の「非人」が制度化されていなかったというのは事実
なのでしょうか
これに関しても松本氏のご意見をお聞きしたいです

49 :白山東光:02/01/12 09:46 ID:uGICMQpV
>>45 じゅうべい様
『塵袋』よりも前に『倭名類聚抄』(931〜37)に「屠児は餌取、牛馬を屠り売る者」
と記載されています。これは河原者や後の穢多のことだと考えられます。

鷹の餌取りとしての「餌取」はあくまでも語源であって、
同じ肉を扱った故にこのように呼ばれたものと考えております。

河原者は検非違使の指揮下にありました。
鷹匠はどこの役所に属していたのかご存じでしょうか。
「餌取」は直接的な起源では無いと思います。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 10:43 ID:3QZpJbhI
じょにーうざい
スレ汚しするな中途半端な知識を
披露しなくていいよ、悪いけど・・・
質問は違うスレででするか自分で調べろよ。
ほんと流れを止めるんだよ。
ただ松本に絡みたいだけだろ。議論になってないんだよ。
松本にちょと同情・・・・

51 :白山東光:02/01/12 11:13 ID:Q4lh1Ydg
>>46 御殿山様
>蝦夷(エミシ)に付いては景行天皇・・・
この蝦夷は私がパート1であげた「佐伯部」のことです。
宮廷や官庁の警護にあったとされており、
後の北面の武士に似た性格を持っています。

参考までに
http://www.e-obs.com/top/heo/heodata/n300.htm

52 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/12 11:57 ID:JZmOt5qL
>51サンクス。
じょにーサン
で帰化人説って蝦夷なら松本先生の説とほぼ一緒ジャン。
紫波城が見つかりません。志波城のこととすると9世紀になってしまう。
36年戦争のこと言ってみえるんですか?。
だんだんメッキが剥がれてくるネ。

53 :百済:02/01/12 13:22 ID:EX6bkKct
古武士の配下にいたとすると、賊軍の城下には多いということ?
確かにそうだけど。だいたいがド田舎だよね。

54 :百済:02/01/12 13:29 ID:EX6bkKct
領主は変われど仕事は同じ、世襲された(特権)集落ということ?
網野先生など中世の記事は少し読んだけど、免税業種(人の嫌がる)
に携わる一族として継続したことは大いに考えられる。歴史は現代から
みれば結果なのだから、安定の平安・室町・江戸時代であっても、
常時イクサの用意は万全であったのかもしれない。海外からの干渉
を断絶した江戸時代でも一揆などの係争はあったし。そうなると
警察予備軍は必要だった。10年前の自衛隊みたいに。

55 :百済:02/01/12 14:28 ID:ISSIXkQC
家紋が鷹の羽でヤバイの?
鷹狩り場だったので有名なのは三重県松阪市だけど。。。
牛は明治以降。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 15:16 ID:3gel5R94
大阪人って、どうよ? 
http://pc.2ch.net/test/read.cgi/isp/1009144723/l50

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 15:31 ID:Z9sSRoc0
http://www.sex-jp.net/dh/01/

58 :名無しさん@おかわり。:02/01/12 15:42 ID:YGyTXmG9
溜めになるのでage

59 :白山東光:02/01/12 16:55 ID:YqNhe57I
>>49 自問自答ですが
兵部省主鷹司でした、ここに属した鷹戸が餌取りを行っていたようです。
検非違使は令外官でしたね。
大和・摂津・河内の3カ国あわせて17戸しか設置されなかったそうですから
やはり穢多の起源とするのは苦しいでしょうね。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 19:04 ID:wI7bOtKV
昔台湾でタバコと愛国賞券(宝くじ)を売ってる人が街を
うろうろしてたけど、現地の人に「あの人たちってどういう
人達?」って聞いたら口をにごされて答えてくれなかった。

61 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 19:46 ID:jmJ9OuOg
>>52 帰化人説は疑わしいと書いているのに>>27 どう言うことですか?
それと先住民=縄文人=蝦夷とする説は天皇の日本列島支配の正統性への
疑惑につながりかねないから唱えるのはこれから先も困難ではありませんかね。

62 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 19:57 ID:jmJ9OuOg
>>52
歴史学者と言うものは学説を立てるから学者な訳ですよね。
それでもはっきりしないものは予め用意されたものを用いて
反論旨も受け入れざるを得ない。
ですから部落の起源にも蝦夷にあたるものあるし、
総てがそうであるとも断言できないと以前から私は
言っているわけです。
部落の起源を辿るのは結構ですが、このスレッドで
結局は賤しいものとされる(そこに貶された道は多々あれど)
ものが部落の起源だとするならば、被差別のかたがたには
見苦しいスレッドですからsage進行でしてはどうですか?
御殿山さん、あなたに鍍金が禿げるなどと言われるのは
心外です。得意げになって自分の知識を語っている様は
裸の王様そのものです。殆どが本にも書いている物です。

63 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/12 20:10 ID:JZmOt5qL
>62
そのことばそっくりあんさんにかえしますワ。
私は人権問題に付いて知識は持ち合わせておりません。
過去の書き込み見てもらうと判ると思いますが
質問形式にしております。

64 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 20:12 ID:jmJ9OuOg
>>52 あと紫波郡紫波町も紫波郡志波町も意味は一緒です。
時代によって呼び方が違うのです。それにしてもよくそんな
ことを憶えていますね。(笑)
ちなみに実母が県立紫波高校卒業です。
私の起源は田村麻呂に隷属した蝦夷かも知れませんね。(笑)

65 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 20:16 ID:jmJ9OuOg
>>63 それでしたら尚更sage進行でするべきではありませんか?
以前にもカキコしましたが、小難しい知識をいくらここに
書き込まれてもあがっているのなら、差別したい君も読むでしょうし
その読み方が中途半端であれば、
「あそこの住人は狩の餌を集めていたこれだぜ」と指を4本
たてて面白がりますよ。

66 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/12 20:28 ID:JZmOt5qL
疑問に思ったことはとことん調べるタチで。
百済妃の書き込み有ったとこ行こうと思っていましたが
スレ消されしまって全部覚えてないです。。。
ログ残しておけるんですか?

坂上田村麻呂の評価は東北地方ではどうなんですか?
稲の品種改良の指導したことは記録に有るが
ヤマトタケルも多人数で動いた雰囲気は無いし
有機農業指導者でヨイと思いますが。。。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 20:30 ID:o7Ojrrcl
何でお前がこのスレはsage進行でするべき、とか言うかなぁ?
sageたい人間はsageる。
何か勘違いしてないかい?スレをsage進行でするべきかどうかは君が決めることじゃないよ。

>>65
>差別したい君も読むでしょうし
>その読み方が中途半端であれば、・・・・・
それは差別したい君の問題。

68 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/12 20:41 ID:JZmOt5qL
たかだか2チャンネルだよ。
書き込みヤメるか。。。
粗シに徹するか。。。

69 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 20:41 ID:jmJ9OuOg
大将軍の名前は大きいですね。蝦夷をその当時東北地方に住まいし
人でなし狼子であるとする風潮ならば心境は複雑です。
なにしろ田村麻呂のわらべ歌には、山賊を(蝦夷征伐のことか?)破った
英雄と東北人自ら祀っているわけですから。
>有機農業指導者でヨイと思いますが これは疑うべきも無い事実
ですが、大部分の東北人の田村麻呂に関する知識と、
蝦夷を隷属し賤視農民(限りなく良民化)としたとするのでは
事実はどうあれ気持のところで異なりますよね。以下関連
http://isweb24.infoseek.co.jp/school/drhnakai/sub1-11.html
スレ違いスマソ

70 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/12 20:50 ID:JZmOt5qL
ちょっとスレ違いでスイマソン。
アテルイを命の保証して都に連れて来て
見殺しにしてから征伐には出なかったらしいですけど。
神社を勧請してまわるのは権力の常ですね。
アラハバキ神は蝦夷の神サンですか?

71 :白山東光:02/01/12 21:10 ID:rS7OTr5l
>>70
アテルイでしたら日本史板にスレがありますので、
よろしければそちらでお願いします。
人権板と同様に荒れていますが、関心があるのでロムしてます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1008125993/

72 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/12 21:22 ID:koVFTvhQ
>>67さん 私は荒らしですが、>>62のところで被差別のかたも読んでいたら
見苦しく感じると言うことでsageで とレスしていますが?
結局前後の見境慮ることなく好きに書いているのでしょう?
殆どのかたが全部のレスなど真面目に目を通さないし。(私も)
結局は自分の興味に引かれる文言にのみ傾くでしょう。(私も)
それだから人権板の自作自演はた易いと自スレでも言いましたが。
事実あなたの指摘も偏向がちですよね。
>それは差別したい君の問題。
それは違うでしょう。少なくとも此処のスレッドの住人さんが
そう思うのならとても残念に感じます。

73 :百済:02/01/12 21:34 ID:Wru3sNtz
喧嘩は止めて。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 21:44 ID:wMZqPu69
>>72さん
だから、君がsageで書くのは自由。
だが、このスレはsageでと、君が決めるも勧めるのも僭越。

全部のレスなど真面目に目を通さないし、結局は自分の興味に引かれる文言にのみ傾くのも当然でしょ。
なにが言いたい?

人権板の自作自演はた易いかどうかは知らんが、仮にそうならどうした?

>事実あなたの指摘も偏向がちですよね。
一体、何が言いたいわけ?

それと君が荒らしなら、人に迷惑がかかるからやめなさい。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 22:16 ID:dr/pUXmu
>38
同感です。

76 :百済:02/01/12 22:28 ID:zfbF2E0/
じょにーさんは女性ですか?

77 :ボケが進んだ百済:02/01/12 22:29 ID:zfbF2E0/

 花も嵐も踏み越えて行くが男の生きる道♪

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/12 22:50 ID:hzkfDEpR
ここは部落の起源スレだ。

79 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/12 23:12 ID:JZmOt5qL
しばらく静観します。
帰化人説にずっと引っかかってるけど・・・。

80 :ボケが進んだ百済:02/01/13 00:23 ID:k80jiHMI
コテハンって辛いよね。でも負けずに馬鹿なこと探求するのは業かな?
頑張れ、万国のコテハン。コテハン連盟作ろうよ。
しかし、イマイチ、エミシ=縄文人=Bっていうのわかんない。
個人的にはB=縄文人っていうのが良いな。浪漫があってさ。

81 :じゅうべい:02/01/13 17:09 ID:FyxUPiDs
>>49
ご指摘ありがとうございます
『倭名類聚集』の記述は「穢多」についてのものではないことから、
『塵袋』の記述を引用しました

「河原者」の初見は『左経記』の長和5年(1016)正月2日の条に
死んだ牛の皮を剥ぎ、牛黄(ごおう、貴重な薬の原料とされた牛
の胆石)を取り出して持ち帰った「河原人」だとされています

この「河原人」に関しては、単に河原に住む人とする説もあります
が、牛馬の解体に携わり、おそらくは皮革の加工にも携わってい
たであろうことから、「河原者」と同じではないかと考えています

なお、この牛黄を持ち帰った「河原人」は、検非違使別当の源頼任
から呼び出され、それを差し出していることから、「河原人」が検非
違使の管轄下であったことが明らかにされています

82 :百済:02/01/13 18:20 ID:5xHAnZly
>検非違使別当の源頼任
別当って馬係りでしょ? 源の出身地は何処ですか?

83 :白山東光:02/01/13 21:39 ID:hUWH9XCe
>>82 百済さん
別当は元々寺院の長を指す言葉です。
ここから、様々な役所の長官を指す言葉になったようです。

本日はまだ主役の松本氏は御光臨いただいていないようですね。
期待してます。

84 :じゅうべい:02/01/14 13:13 ID:e1wh8FE5
>>81
「源頼任」ではなく、「藤原頼任」です
間違えてしまいましたので、訂正しておきます

「河原人」が「河原者」ではないとすると、その初見は『後愚昧記』の
応安4年(1371)4月4日の条に「河原者」が死者の衣装の取得を
めぐって、犬神人(祇園社に従属し、清水坂非人とも呼ばれていた
「非人」)と争いになったという記述です

清水坂非人は、京都内外の非人への支配権を持っていましたが、
同じく「キヨメ」の職掌を担い、武家との繋がりを有していたと推測
される「河原者」と争うことも多かったのではないでしょうか

85 :じゅうべい:02/01/14 13:40 ID:e1wh8FE5
肉食の「ケガレ」に関する意識は、武家と公家では大きな差があったと
考えられています

『百錬抄』の嘉禎2年(1236)の6月24日の条に六条西洞院に「鹿宍」
を売る「宍市」が立ち、「群集飽食」という状態になり、「洛中不浄」である
として、三条西洞院には摂関家があるので制止するべきだという記述
があります
ここには「武士これを宍市と号す」とあり、「鹿宍」を売っていたのが武士
であったのか、あるいは主な客層が武士であったのかはわかりません
が、いずれにしても武士と肉食の強い繋がりを伺うことができます

それに対し、摂関家の近くであることを理由として「宍市」に反対している
ことから、公家は肉食を忌避していたことが伺われます

86 :ばか!:02/01/14 15:31 ID:R0tUOuHf
インターネットって くだらない!
国が 税金注いで IT政策って騒いでいるから やってみて
のぞいてみたけど
ロクな情報がはいってこないし こんなバカな 記事読むために
高いネット代はらっている・・。
もうネットなんて辞めようと思う。 くだらない
あたま 空っぽの人間がやるものだね。インターネットって!
これでは。時間持ったいない! TVのほうがましだね。
時間ばっかり掛けても ロクな情報が無くて バカな掲示板ばっかり!

本当に よっぽどまともな本読んだ方がましだね。
書き込んでいる人間も 学歴が高いって自慢して きどっている割には
バカばっかり?  なに考えてんだか!こんな所で
差別だとか さわいでいてばかみたい
差別されるべきは ここに書き込んでいる あんたたちの頭だよ。
ほんとに 日本の国って どうなっちゃうんだろう
ばかばっかりだね。 心配になってくるよ。
自分のしりに火が付いているのも気がつかないで。
ばか!
国は ITとか言って 税金注いで 騒いでいるけど
こんなろくでもないの !
まともな人間は ついてこないよ。
IT政策なんて なが続きしないよ。終わりだね。
昔は 皆こじきだよ。ばか1

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/14 15:34 ID:+sC1kU9Y
>>ばか!
一瞬コピペかと思ったけど本物なのかな?
とりあえず自分で文章書いて他人に見せる事
なんて無いだろうし、これを機会に少し
練習してみたら?

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/14 18:40 ID:n80THGQu
人権板のロゴ看板を作るそうです。どれがいいですか?
http://www.j-webtv.ne.jp/~motor/1226boxfree/img-box/img20020111231740.jpg

ご意見はhttp://tmp.2ch.net/test/read.cgi/rights/1009345379へ.

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/15 23:45 ID:sFS3Y5cP
じょにーは本当に邪魔だね

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 15:55 ID:pPXc7R2L
じょにー、本当に邪魔・・・

>>67さん 私は荒らしですが

こんな事書いてるし・・・・もう真剣に、お願い!
真剣に、この人は気が違ってると思う。
やりあいたいなら、それなりの知識、気に入らなくても
ちゃんと意見を聞く耳を持って来てください。
お願いします!何がしたいの?
起源がはっきり結論出ると思う?
邪魔してあげないでよ。
冗談抜きで、もう来ないで!
煽りじゃないです。


ってまたなんか書くんだろうけどもう今後
一切放置します。
荒らす限り。

91 :百済:02/01/16 16:34 ID:AfzeuBks
藤堂藩召抱えの御鋳物師って、やっぱりセンミンなんですか?

92 :百済:02/01/16 16:35 ID:AfzeuBks
 ここでは、定着農耕の始まりによって、差別が、特に、身分差別として賎
民身分がうみだされていった過程を、明らかにする。
<狩猟採集民>
 人類史上、99.8%を占める生活形態。小集団(バンド)による移動を
行う。分業なく、協力関係が密。その日暮らしで十分やっていけ、貧富の差
なし。差別なく平等。
<農耕牧畜社会>
 蓄積・貯蔵。余剰作物。分業化、専門化。呪術師・祭司が訓練・世襲を経
て継承されるようになる。余剰、定着による集団の大規模化。生み出す力に
対する信仰。宗教の力が強大になっていく。一方で、戯れ意識を持つように
なる。

93 :百済:02/01/16 16:36 ID:AfzeuBks
定住と漂白

柳田国男仮説:被差別集団の特徴=移動性、「漂流の民」が被差別者の源。
 被差別民の呼称は、漂白的宗教者・特殊な技術を持つ職業者に対する呼び
名をその源とするものが多い。漂白的宗教者の一例としては、ホイト(乞食)
=寿詞を述べるのを専門とする宗教職業者。漂白職人とすれば、鋳物師・染
色師など。集団で漂白し、注文に応じて農耕具を作って歩いた金屋の製造に
よる鍬が、農業生産を飛躍的に増大させる事から、農民には呪術と捉えられ
ていた(鍬入れの儀式)ことに見受けられるように、職人達も宗教者と同様
に呪術性を持った存在と見られていた。また、金屋自体が金屋子神をまつっ
ているように、特殊な技能を用いる生産工程自体が呪術性に支配されていた。
*呪術:慣習によって定められている様々な方法を使ったり、呪文を唱えた
りすることによって超自然的なものを支配し操作し、それを通じて期待する
結果を得ようとするもの(J・フレーザー)

94 :百済:02/01/16 16:36 ID:AfzeuBks
 一方、古代における定住農耕民にとっての世界は、聖なる原点(神が降り
てくるような普通とは趣の違うところ、山である事が多い)を中心軸とした
一定の空間に限定される。そして、その空間の境界(耕地に適さない湿地、
原始林など)には、未知の外界から何か恐ろしいもの、災いをもたらすもの
が入り込まないように、道祖神と呼ばれる陰陽石が置かれたりした。定着農
耕民にとって、自分の生活地の外に出ることは、想像を絶することであった。
こういった定着農民(常民)にとって、外からの稀な来訪者であるマレビト
(客人)は、常世の国(民間信仰に基く)から定期的にやってくる、畏怖す
べき存在、霊験あらたかな者であった。漂流民は、古代の村落共同体におけ
る社会的地位の上下軸に収まらない、全く別の次元の存在であったのである。
 聖なる者は「力」であるが、魅惑と畏怖と言う両価性を持つ。また、神聖
なものと不浄なものの併存をその両価性と取る者が多いと言う説もある。こ
れが分離されていく過程を見ているのである。

95 :百済:02/01/16 16:38 ID:AfzeuBks
異次元の存在とされた漂流民

 では、異次元の存在とされた漂流民がおなじ時間軸の中で捉えられ「賤しい」
とされるようななった契機は? =村落共同体を越える「社会」と言う概念が強
く意識されるようになってきたこと。←権力者による部族的祭儀や神話の説話の
断片化―再統合である。古事記・日本書紀は、各部族の持つ神話説話・祭式の断
片を集大成したもの。各部族の持つ呪力を我が物にし、服属の誓いを表すような
ものに作り替え国家権力の誇示を図った。神話は、世界や人間自身やその文化に
ついての最も基本的な考え(世界観)を表現している。単なるおとぎばなしに見
えても、実は世界を説明しようとする基本原理なのであり、各部族・民族が自分
達の世界を秩序ある統一体として把握すること、行為や存在に意味付けを行うこ
とを可能にするのである。一般的には、世界が原初の混沌の中から姿をあらわし
現存する世界が形づけられていく過程を物語る(創世神話)。そこでは、宇宙そ
のものの起源や、人間がどのように発生したか、火や穀物や家畜などの生きるた
めに必要なものをどのようにして手に入れ、どのような社会>の秩序が作られたか、
について語られている。神話は、説話と異なり娯楽・教訓性があまり無く、むし
ろ深層心理を反映しており、秩序に縛られた意識では思考し得ない世界の「混沌
(カオス)」にある事象を、象徴を駆使することで読み取り、日常の現実に関連
づけ、意味を付与するのではないかとされている。
 祭りは、時間概念を規定する、時間の宗教的な区切り目(アクセント)となる
宗教的(=超自然的なものへの信仰を持つ傾向)儀礼である。非日常(ハレ)で
ある祭りは、神とのふれあいをその目的とし、神宣や身体演技(神楽など)、神
と人が無礼講で飲食する遊宴(うたげ)等が行われる。これらの行為を通して、
共同体の構成員は、世界を神話によって意味付け、共同体の秩序を再確認再構成
(なぜなら祭りは非日常、無礼講であり、日常の秩序が崩れている)し、仲間同
士としての一体感を実感し、自らを共同体の一員として位置付ける。このように、
共同体の統合には、世界を、人間の行為を、意味付ける、意味の源泉である祭り
が、極めて重要な役割を果たす。その祭りが、権力者の手により、ただ神に使え
ることのみを強調するようになったとき、本来プラスマイナスの両価性を持つ
「力」が、汚れ無き神聖なものとなったのである。
 日本の記紀神話は氏社会の階層的統合を図ったものであった。本来祭儀を
司るものは忌むべき聖なるものであったのが、神に仕えることのみを強調す
ることによって、穢れなき権威としてのさばれるようになったのである。実
際、天皇は司祭王であるのだが、こういった存在が個々の成員の積極的承認
を必要としないで神との間を独占的に媒介できるようになったことが、その
ひとつのきっかけである(?)ように思われる。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 16:41 ID:D0OmSFzu

うちのじいちゃん(関西人)が言ってたよ。

Bの先祖は、平家の落ち武者なんだってな。

平家の落ち武者に、在日外国(朝鮮)人、流れ者、流刑者、、、

そんな人たちが、世間から隔離して、部落を作ったのだそうな。

だから部落は、日本全国どこにでもある。

しかし平家は元関西人だから、関西に多い。

明治維新のときに「平民」ではなく「新平民」として戸籍に

登録されたのも 今現在へ尾を引いている原因だとか…

彼らには、先祖の代からずぅ〜っと差別されてきたという恨み

があるので、引っ越したりとかする気が少ないんだそうな。

97 :百済:02/01/16 16:57 ID:odCwO+x1
あの、平家の発祥は関東武者じゃなかったですか?
源平氏は、検非違使のエリートと言われる東海道(三重県北勢地方
沿岸部と峠)に配されることを賭けて戦ったのでは?
で、北勢に力を持っていた伊勢平氏(伊勢国に落ちた平氏)が買っ
て上洛し貴族もどきの権力を振るったのが源平合戦の構図。
関東平野の殆どの平氏は源に従った。源頼朝の妻北条政子も平家だ
ったが源氏に従った。
トンデモ話ですが、平家は賊軍ですから落人となりますが、
素性は源氏のほうが玉石混合ですよ。だから徳川家康が源氏を名乗っ
た経緯があり、それを容認できる風土があったのかもしれません。
平家側がいつまでも根性。だけど織田家は平家ですが。

98 :百済:02/01/16 17:00 ID:odCwO+x1
大名藩お抱えの御鋳物師もセンミンですか?阿弥衆ではないのですが。

99 :百済:02/01/16 17:12 ID:odCwO+x1
聖と賎

 以上のように、権威付けのメカニズムを見てきたが、司祭王が「力」のも
つ聖と賎を分化し、聖のみを独占することにより、その結果、賎が民間の霊
力者=漂流民に振り分けられることになった。日本霊異記・万葉集からは、
国家による宗教統制によって呪術力を持った漂泊的宗教者が賤しめられてい
く過程が窺い知れる。また、歌舞は、神話の再現であり、それを通して人々
は神にふれ、俗なる世界の意味付けを得たのであるが、服従のみを強調する
ことによって、部族成員全体のものでなくなり、権力者の道具へと従属する
ことになった。こうして、「力」のもつダイナミズムのうち、権力者の側に
プラスの要素が独占され、それに携わる者にマイナスの要素が振り分けられ
ることになったのである。ここにおいて、「賤しい民」が登場してくるので
ある。実際、工芸品を制作する手工業者や芸能者、非人は、律令制以後、身
分的には寺社の支配・管理を受けていたのである。
 村落/部族共同体を統合する「くに」の成立、そしてそれを正当化する神
話の誕生によって、聖なるものの両価性が分離していく、という傾向がみと
められる。日本の場合、ここで真っ先に「賤しい」とされるようになったの
は、国家に属しない呪術・宗教者であった。一方、国家に服属する職能民は
世間にとっては依然畏怖すべき存在であった。後世のように賎視されるよう
になったのは、神話以上に人々の現実の世界観が変化したことにあるのであ
るが、それまでの経緯を見ていく。

100 :百済:02/01/16 17:12 ID:odCwO+x1
聖別された身分

 生産力がまだ低い段階においては、工芸品の制作は依然宗教的意味によっ
て把握され、特異な職能集団は権力者の統制下に置かれていた。鋳物師は天
皇家に直属して燈炉供御人と呼ばれていたり、祇園社、延暦寺、興福寺など
はそれぞれ神人(じにん;神に直属する人という地位)・寄人(よりゆうど
;仏に直属する人という地位)といわれた、清めを専門とする非人を支配下
においていた。革細工や土木、造園に携わっていた河原者も同じく神仏に属
していた集団であったようである。猿楽、獅子舞、巫女、遊女といった芸能
民についても同様で、白拍子・遊女は内教坊という官庁に所属しており、五
節の舞などの宮廷行事に参加していたことが知られている。(遊女は職能集
団であり、地位も決して低くなかった) また、都だけでなく、各地方にお
いても、手工業者とともに管理を受けていた。このように、手工業者(商人
でもあった)や芸能民などの職能民の多くが神仏、天皇の直属民という地位
を与えられており、保護を受ける変わりに神仏に奉仕する、平民とは異なる
「聖別」された身分となっていた。これには、生みだす力に対する畏怖(女
性に対してもあるもの)だけでなく、交易や金融といったものが非日常的行
為であり、市場は神の世界と俗界との境界(海と陸との境である浜、山と平
地の境目である坂、川の中州など)に設けるという当時の考え方・世界観が
その背景にある。


サルの社会でも互酬性がみられ、ボスはエサ場を確保することで、その限り
において、支配権を握れるのである。このことは、例えば、江戸時代の身分
関係にもあてはまる。誤解されると困るのは、百姓一揆が革命を求めたもの
では決してない、という点である。それは、あるべき身分支配関係(いわば
親子関係)の再確認を求めたものなのであり、当時のイデオロギーの貫徹
(君主は「可愛がってくれる」)を目指したものだったのである。権利の主
張ではなかったのである。これは、実は、今にいたるまで日本の訴訟にみら
れる、ひとつの大きな特徴でもある。成員が緊密な関係にある村落共同体内
における場合や、モノには持ち主の霊が宿っているとかんがえらている場合、
モノをモノそのものとして(商品として)交換することはないわけである。
そこでの目的は互酬関係の確認なのである。こういった商品経済が未発達の
段階においては、モノをモノとして交換する場=市はモノが持ち主の霊から
「無縁」の状態になるところ、即ち、日常的秩序の外に求められたのである。

101 :百済:02/01/16 17:13 ID:odCwO+x1
畏れ

 平安時代になると死体の処理、清掃などを非人が独占的に扱うようになって
きた。こうした職能はキヨメと呼ばれ、祭りでは先頭の御払い役を務める(神
人)など、畏れ、敬われるものであった。いまだ、ケガレに対して、忌避・嫌
悪よりも、畏怖の感覚が強くもたれていたため、非人は、ケガレを清める特異
な力をもつ職能民と捉えられていたのである。これは、ケガレ(気枯れ)を回
復するための祓え(ハラエ)として良く用いられる手段=祭り(ハレ)をその
生業の場とする、司祭(王)、芸能民に対するまなざし・感覚と同様のもので
ある。また、非人は異形の姿(童姿など)をしており、名前には「丸」がつい
ていた。当時(中世)、「丸」は童名として用いられたのであるが、その他、
鷹や犬のような動物、船、笛などの楽器、武具などにもつけられていたとされ
る。このことから、「七歳までは神のうち」というように、子どもなど聖俗の
境界にあるもの(そしてなんらかの呪力があるもの)に「丸」をつけたと考え
られる。したがって、非人もそのような存在であったといえる。

102 :百済:02/01/16 18:00 ID:1w3NMsYk
賎視への変化

 国家に服属する職能民が畏怖されるのではなく、賎視されるようになったの
は13世紀後半、鎌倉時代後期からであり、室町時代になって定着したといわ
れている。その理由として、穢れに対する観念の変化、すなわち、ケガレを畏
怖する意識が消え、汚れとして忌避・嫌悪する意識が強くなってきたことがあ
げられる。この社会におけるものの見方の変化の背景には、人間と自然の関わ
り方の大きな変化が存在する。文明の進展(社会の拡張化)に伴う、自然観・
世界観の明確化(神秘性の減退)と商品経済の発達が相俟って、また日本の場
合、律令制崩壊による職人たちの自立化や南北朝動乱による天皇権威の失墜に
もより、超自然的なもの、そしてそれを体現する者に対する畏怖が薄れていっ
た(世俗化)のである。規模が大きく複雑な社会においては、一旦世俗化され
て日常の社会秩序に組み込まれてしまうと、固定化してしまう。戦国時代には
下剋上の風潮が存在していたが、徳川幕府の厳格な身分政策による非流動的な
被差別部落の誕生によって、卑賎視は決定的になったのである。
文明化により神聖王が出現した地域では、日本もその一つであるのだが、し
かし、今現在の「日本」全域に等しく当てはまるわけではない。被差別部落は
西日本に多く存在し東日本には少ないこと、中世の東北やアイヌ文化では存在
しないこと、こういったことの背景には狩猟・採集文化に基づいた感覚の違い、
特に動物に対するもの(肉食の習俗など)、が存在するのである。

103 : :02/01/16 20:21 ID:mg/b8iYY
>>92-102
長いよ。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/16 20:29 ID:MmJ1jPTs
ふ〜読むの大変。。。。

105 :地理学科:02/01/16 20:32 ID:XB9LDbIY
百済さんは、趣味としてこのような知識をお持ちなのですか?
(失礼な聞き方でしたら、すみません)
自分は、大学で木地師や鍛冶屋のことを少し学びました。
民俗学を学んでいくと、必ずタブーに行きつきます。それがまた
民俗学の奥の深さのような気がします。

社会人になってしまった今は、もう趣味の範囲として民俗学の文献
を読む程度になってしまいました。なので、2ちゃんの人権版に
このような話題があって、百済さんにちょっと興味を持ってしまい
ました。

106 : :02/01/16 21:21 ID:bX2N7pfI
百済さんて元々民族板の人なの?

歴史板の葵を思い出すな。

107 :百済:02/01/16 21:30 ID:0BJx6MmW
>105さん

私の先祖は藤堂藩お抱えの御鋳物師で、鳥羽伏見の戦いで銃砲を大量
に製造し、幕府軍を殺傷しております。この戦いで有名なのは藤堂藩
の寝返りです。この寝返りのせいで幕府軍は負けたと云われています。
そういう忌まわしい一族の末裔なんです。で、センミンなんでしょう
か?教えて下さい。先祖には木地師もいたようです(検証中)

108 :白山東光:02/01/16 22:17 ID:a3IElbSS
>105百済様
神奈川の例です。
古くは鎌倉時代に鎌倉の大仏作成を担当した鋳物師は源姓や
物部姓を名乗っていました。
また、戦国時代に北条氏の元で鋳物師を指揮していた頭領は
河内からの移住者で山田治郎左右衛門を名乗っています。

その後、江戸時代に鋳物師を廃業した者の中には83人もの下人
を抱え名主をつとめていた者もおりましたので、神奈川県では
鋳物師は賤民ではなかったのでしょう。

ただ、鋳物師の居住地域と長吏の居住地域は地理的にきわめて近く
興味ある点です。
私の推測ですが、戦国時代には皮革製造も鋳鉄業も同じく軍事産業
として成り立っており、軍事物資の製造工場として機密保持や警備上
の理由などから近くにおかれたのではないでしょうか。
また、支配者にとって重要な物資を供給する職人は優遇こそすれ、
差別などは無関係であったと思います。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 15:31 ID:IhlcxsjH
憶測で物言うなよ

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 16:11 ID:rsj+5T7I
こういうのは「憶測」じゃなくて、「推測」って言うんだよ
その根拠をはっきりと書いているんだから、批判したいんだったら
ちゃんとした形でしろよ

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 17:07 ID:IOmyDvR/

>>108

そりゃそうだろうな。えたさんとかは、人気者
だろうよ。戦争や危機的状態が起こると、どん
な分野も「プロ」が歓迎されやすいし。

それに…空爆を受ければ、みんなして部落どこ
ろの騒ぎではない。野宿だからな。。。


112 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 17:09 ID:iWKh7vaI
部落差別とはどのような差別ですか?
http://www.altec.ne.jp/ajch/

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 17:31 ID:IOmyDvR/
>>112
「同和問題」ともいう。先祖代々、家畜の加工や
処理、死体の埋葬などを手掛けてきた人達は、そ
の職業上「気味が悪い」「汚らしい」などとして
世間一般から差別され、就職や結婚などで不当な
扱いを受け続けてきた。今でも日本全国(東京含
む)に残り続ける。現在の彼らは、同和地区や部
落と呼ばれる地域に作られた市営住宅や都道府県
営住宅に住み、主に同じ職業を営む。いまだに差
別の被害に遭うことがしばしば。

114 : :02/01/17 21:27 ID:UrVFZnl0
>>112
江戸時代では長吏とよばれ、町の治安維持や死刑執行人、清掃作業
等していました。今でも同じようなことをして公務員として働いています。
たまにシャブでつかまったり、廃棄物処理のバイトなどして懲戒免職に
なったりもしてます。ある都市の市営住宅では住人の60%が公務員
という役人村もあります。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/17 23:31 ID:bZt5s0CW
住民のほとんどがチンピラというところも多いよ。

116 :百済 ◆OXLav4ic :02/01/18 02:38 ID:qzy5UGQ6
ふむ。家畜は屍骸を放置されて、その始末は免税で被差別民(という言葉も浪漫が
ないですね)が解体処理加工したわけです。肉食の習慣は古来より日本には高家に
もありましたが、皮革産業=軍需産業になるあたりで、被差別民は常民と区別され
たのでしょう。実際、動物の解体などは熟練加工を施さなければ、農家でも行える
仕事です。農家はもっと汚い仕事も強いられていたから。

となると、古代史、天皇史まで遡らないと駄目ですね。
天皇御陵に被差別民が多い、と云っているのは現代であって、飛鳥、平城時代はど
うだったのでしょうか? もちろん、ライ病などの疾病隔離は云うに及ばず、被差
別というより衛生隔離であったと思います。でも寺社で寝食を与えられたことも事
実。人権派の方は怒るでしょうが、相当昔のことですよ。もしかしたら、公地公民
の時代は現代民主主義平和憲法に似ていると思いませんか? ライ者を隔離したの
は近世後期から現代なんですから。ライ者は小法師(名古屋の起き上がりコボシ)
みたいに伝承されていますが嫌悪感を、ある意味で払拭しています。

117 :112:02/01/18 15:32 ID:NJ0jvcFZ
似非同和とはどういう意味ですか?

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/18 15:36 ID:7KTn0AKj
>>117
似非同和も本物の同和がやっているのがポイント

119 :じゅうべい:02/01/19 14:00 ID:oDmNkVyj
>>59
鷹飼は鵜飼・犬飼とともに早くから検非違使の管轄になっていたようで、
天元元年(978)に鷹と犬が出羽から貢進された際には、鷹を飼うことを
許された三位以上の者には2人の、四位以下の者には1人の餌取が、
検非違使の下文によって付されたという記述が『政事要略』にあります

また、延長8年(930)の醍醐天皇の崩御の際には、「その日、左衛門の
陣の前にて、御鷹ども放たれ」たという『大鏡』の記述からも、左衛門府が
鷹飼に関係していたことが伺われます
(検非違使の官人は、左右の衛門府の官人が兼任していた)

120 :じゅうべい:02/01/19 14:13 ID:oDmNkVyj
検非違使の管轄下にあった「河原者」が、「餌取」としての職能も担って
いた可能性は高いとは思うのですが、そのために牛馬を屠っていたかに
は疑問が残ります

犬追物に用いられる犬の調達を「河原者」が行っていたこと、奈良坂非人
が犬の害から神鹿を守るために犬狩りを行っていたこと、中世期の京都
には多くの野犬が生息していたらしいことなどから、わざわざ鷹の餌に
牛馬の肉が供されたとは考えにくく、容易に調達できたであろう犬の肉が
多かったのではないでしょうか

121 :白山東光:02/01/19 16:13 ID:OK8GWlPX
>>119
じゅうべい様
ありがとうございます。
河原者が鷹の「餌取」を行っていたこと、ご指摘のとおり考えられることです。

鷹の餌が何であったかですが、牛馬の肉は鷹の餌としては次のような点で
疑問があります。

1.保存技術が発達していない時代に肉の鮮度を保つことができない。
2.運送や農耕に役立ち高価な牛馬を屠殺して鷹の餌とすることがあったのか。
3.室町期に著された「養鷹秘抄」や江戸時代の「荒井流鷹書」によると
  鷹の餌としては雀を使用している。

鷹の餌としては犬の肉よりも雀などの小鳥の肉の方がより安易に調達
できたのではないでしょうか。





122 :白山東光:02/01/19 16:35 ID:OK8GWlPX
「徒然草」のなかに雅房の大納言が生きている犬の足を切って
鷹の餌として用いたという資料があったことを思い出しました。


123 :じゅうべい:02/01/19 17:02 ID:oDmNkVyj
江戸時代には百姓に犬を飼育させ、それを鷹狩の際に獲物を追い出す
ために、あるいは鷹の餌として徴収する法令が出されている藩もあり、
また、武家屋敷跡から解体された痕跡のある犬の骨が発掘されている
ことなどから、鷹の餌としては犬を用いることが多かったのではないか
と考えられます

『続日本紀』の天平宝字8年(764)の10月11日の条では鷹・狗・鵜を
狩猟のために飼うことを禁じる詔が出されています
これらが後にはいずれも検非違使の管轄になるというのは、検非違使
の性格を考えていく上で重要なのではないでしょうか

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/20 01:00 ID:waVro7v+
>123
もっこすは武士の主食が犬だと言ってたよ
犬は武士の餌だよ

125 :じゅうべい:02/01/20 12:20 ID:E4zaQ9jj
>>81
もう一つ訂正しておきます
頼任は「別当」ではなく、「佐」(すけ、副長官)です

検非違使の別当は衛門監(かみ)を兼任する中納言か参議が務め、
使庁に出向いて実務に当たることはなく、衛門権佐(ごんのすけ)を
兼任する佐が別当に代わって実務に当たったそうです
頼任は『左経記』には「右衛門権佐頼任朝臣」とありますので、検非
違使佐であったのではないかと思います

頼任が「河原人」から牛黄を受け取っていることから考えると、この時
期はそれほど「河原人」に対して「ケガレ」観念は持たれていなかった
のではないでしょうか

126 :じゅうべい:02/01/20 12:36 ID:E4zaQ9jj
>>123
この詔は、天平期に頻繁に出されている殺生禁断令の一つですが、
鷹飼・犬飼・鵜飼も対象としていることからも明らかなように、松本氏
が主張されておられるような俘囚だけを対象とするものではなく、この
点も俘囚説への疑問として挙げることができます

127 : :02/01/21 13:42 ID:gaFER6FF
松本閣下ぁ〜〜

早く反論して下さいよ
もう10日も経ちましたよ
このスレは松本閣下の為のスレなんだから
主役が登場しなきゃ始まらないでしょ

期待 あげ

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/21 17:10 ID:jHTlNwLo
閣下逃走した模様

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/21 20:12 ID:K1HnVDg6
逃げたんじゃない!
閣下は来るべき敵との戦いに備えて、修行に励んでおられるのだ!

でも、そろそろ出てきてくれないと…

130 :  :02/01/21 20:46 ID:Y6cv5gaS
松本って何者?

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/21 23:02 ID:L+lR56TW
修行=図書館通い

う〜んでも10日ですからね
このまま1年くらい修行を続けるでしょうか

132 :  :02/01/22 00:18 ID:UiJqjd14
マツモトさんは今アレなんだよ。
みんな、なんでわかんないの?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/22 18:46 ID:EJV15uAO
>これだけの内容を一度に書く義理があるのか ?
>とも思うが暇な時にでも潰していってやるよ

こんな台詞が似合うのは松本閣下だけだな(藁)
これだけ大口を叩いておきながら、出てこないんだから、
よっぽど忙しいんだな、図書館通いで

134 :じゅうべい:02/01/23 09:51 ID:wyU2dpBF
>>45
建治元年(1275)の『名語記』で「河原ノ辺ニ居住シテ牛馬ヲ食スル
人ヲヱタトナツク」のはなぜかという問いに、「ヱタハ餌取也、ヱトリヲ
ヱタトイヘル也」と答えています
さらに続けて、「餌取」とはなにかという問いに対しては、「屠児トカキテ
 ヱトリトヨメリ」と答えています

『塵袋』とほぼ同じ時期に成立した『名語記』にもこのような記述があり
ますので、河原に居住し、牛馬の解体や皮革の加工に携わっていた
人が「穢多」と呼ばれるようになったのは鎌倉時代の中期のことでは
ないかと推測できます

135 :じゅうべい:02/01/23 10:14 ID:wyU2dpBF
鴨川の河原に人が居住するようになったのがいつ頃のことなのかは
よくわかりませんが、『延喜式』に「鴨御祖社の南辺」に居住している
「濫僧」や「屠者」などに対して、居住地の制限を加えていることから
考えて、平安時代の中期には「濫僧」や「屠者」の鴨川の河原に居住
していたものと思われます

これらの「濫僧」や「屠者」が、後の「河原者」へと系譜として繋がるの
かは慎重に検討する必要があるでしょうが、その可能性はかなり高い
のではないかと考えています

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/23 17:16 ID:VFHydxsI
松本やばいの?
街道に拉致られた?

137 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/23 18:59 ID:d2aHYjxp
人権弁護士遠藤誠氏死去!!!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020123-00000549-jij-soci


138 :だだ:02/01/23 19:12 ID:T7F/9oA+
今でも河原者いますよ。

139 :だけど:02/01/23 19:44 ID:A0gGB5Zz
皮裸者はいませんよ。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/24 01:35 ID:qMXNyPKe
>138
河原の青テントで生活してる人達?

141 :138:02/01/24 21:24 ID:cFte/hMs
>>140
そんです。

142 :じゅうべい:02/01/25 16:23 ID:yLqc0eES
>>116
陵戸は五色の賎の一つではありますが、その身分は雑戸(軍事的に重要
な技術を有した集団、良民としては低い扱いを受けた)に準じるものとされ
ていましたので、差別されていたというわけではありません

陵墓は開墾や伐採を禁じられた、「神聖な場」としての性格を帯びていまし
たので、これを「ケガレ」とするような考え方はされていなかったと思います

143 :チン・ボッキ ◆KING7//. :02/01/25 17:05 ID:PvWt/LX6
ぶらっきーヽ(´ー`)ノ

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/27 13:55 ID:o7lQTMwA
松本ちゃん知りませんか?
どこに逃げたのでしょうか。
「捜索願」出しましょうか。

145 :松本:02/01/27 16:41 ID:oa/lBZQ4
なんだ、おまえ>>144

146 :開運@松本鑑定団:02/01/27 17:39 ID:B7ZXbcAr
>145 鑑定結果 松本度10%

いけませんね〜
尊大さに欠けます。
偽物です。


147 :じゅうべい:02/01/27 18:34 ID:i+6xfVQH
江戸幕府が出した法令での「穢多」という語の初見は、明暦3年(1657)
の「盗賊人穿鑿条々」だといわれています
この法令の4条目の但し書きとして、「出家、山伏並行人、虚無僧、鐘打、
穢多、乞食、非人」を列挙し、これらは盗賊を宿泊させる者であり、盗賊人
と同様であるとして警戒をするように指示しています

ここでは「穢多」は他の宗教者・芸能者と併記され、「乞食」や「非人」とも
その扱い方に差を見出すことはできません
これらに共通する性格は、共同体に定住をせず、漂泊をするということで、
治安上の理由から規制を加えようとしたものであることが伺われます

しかし、この時期には「穢多」身分としては確立されてはいませんでした
それが確立されるのは宗門改制度などの諸政策を通じてであり、「盗賊人
穿鑿条々」には人民を統制をするという目的があったと考えられています

148 :じゅうべい:02/01/27 19:01 ID:i+6xfVQH
寛文7年(1667)に尾張藩は領内の町・村に対して触書を出し、24種類の
「一所不住のもの」を列挙し、町・村がそれぞれを五人組に入れるなどを決め
ることを定めています

その24種類の「一所不住のもの」には、「行人」や「陰陽師」、「猿引」などの宗
教者・芸能者だけではなく、「諸職人」や「諸商人」も含まれており、「一所不住
のもの」の1つとして「ゑた」が挙げられているに過ぎず、ここでも「穢多」身分を
確立させ、それを百姓・町人よりも低い身分とするような意図はなかったことが
はっきりとわかります

この場合には、「ゑた」が五人組に組み入れられ、百姓・町人となることもあり得
るわけで、実際にそのようになった事例もあるそうです

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/27 22:23 ID:sYhatFH5
>>145
本物の松本さん?

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/28 08:16 ID:EpybzZKr
芥川氏は出自について懊悩したのかもしれんな。
塵芥の川だもんな。
作家はけっこうBさんが多いやも。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/28 08:19 ID:EpybzZKr
「盗賊人穿鑿条々」って明治時代の乞食狩りに似てるね。


152 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/28 08:38 ID:7y5yXMhg
>150川端康成は死後「ジコノテンマツ」著・ウスイヨシミで
すっぱ抜かれ遺族と裁判ざたに増刷しないことで決着。

153 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/28 16:44 ID:ppjw6CnE
>>152 臼井吉見さんの「安曇野」は、もの凄い叙事伝です。
ありゃありゃ中上健次sageです。

154 ::02/01/28 20:22 ID:0M72x5rw
臼井吉美ってマイナーな人?検索でヒットしませんネ。
B民はぼかして書いてあったけど養女をセクハラにはドッキリ。。。

155 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/28 20:43 ID:QCbkxR3z
>>154 スレ違いで申し訳ありませんが、字が違うからではないでしょうか?
吉美ではなく吉見です。yahooで677件ヒットしましたよ。

156 :じゅうべい:02/01/29 16:52 ID:Dg1LqI24
「盗賊人穿鑿条々」が出された時期には、天和3年(1683)に土御門家
による陰陽師の統制が認められたのをはじめ、鋳物師や木地屋も統制
を受けるようになっていきました
それは経済的に困窮する下級公家や、自由な活動を求める商工業者、
宗教者・芸能者からの動きを受けて、幕府がそれを追認するという場合
が多かったようです

いずれにしても、幕府が人民を統制する手段の一つとして利用したもの
であり、この時期が「穢多」身分が確立されてる過程であったことは、確実
なのではないでしょうか

157 :百済:02/01/29 18:14 ID:DIifycKK
じゅうべいさんへ

ナントカ太夫って過去帳に書いてあるみたいだけど。
太夫って何なのですか? 過去帳の一代目は徳川幕府初期から始まって
おります。

158 :百済:02/01/29 19:04 ID:DIifycKK
さらに、文献には、丹波寺を受領し、肥後大掾として多くの鋳物職を支配
していた、とあります。
我が先祖は河内国丹南郡で代々鋳物師をしていたそうで、江戸初期に伊勢
国に移住したとあります。元姓を藤原通弥市太夫と称しており、おおもと
はナントカ親王と書いてあります。在原業平の家系の末裔とか書かれてい
ますが、木下藤吉郎のように金銭で地位を買ったのでしょうね。

いずれにしても、藤堂藩御用鋳物師で、大砲を鋳造したみたい。
幕末には大儲けをして他の藩からも注文が相次ぎ、代官職ではないのに、
伊勢国では大量生産の銃大砲類を鋳造し、背イ銭という鉄製の寛永通宝
を鋳造していたらしいです。

戦争で殆どの製造品を供出しており、大正期に財産を親族に分配した為、
郷土歴史家さえも未だに詳細が分からないそうですが、研究すれば、津
市の史跡となり、偉人の一人に入るような一家だったようです。
というのも、2軒以上の大砲の量産した技術は日本国内でも稀有なもの
らしいのです。伊勢国はどうして歴史を大切に保存しないのか、と思って
いたのですが、そもそも伊勢人の性格に問題があるみたいです。このまま
では残った屋敷跡などが壊れてしまいそうです。ふー

159 :百済:02/01/29 19:07 ID:DIifycKK
2軒以上の大砲の量産 → 2間以上の大砲を量産

160 :ななし差別主義者:02/01/29 19:30 ID:A7fC2sHO
なにがホントうかなにがウソか分からなくなってきたよ!!
昔は楽だったよ。教科書どおり信じてればよかったから。

161 :じゅうべい:02/01/29 19:31 ID:Dg1LqI24
太夫とは、中宮職や修理職の長官を意味する語だったようです
修理職は大工寮に属し、宮中の修理や造営を担当する令外官で、そこの
長官ということから、職人の頭というような意味として用いられるようになった
のではないかと思いますが・・・・もう少し調べてみます

ちなみに、江戸時代には吉原の花魁の最高位を太夫と呼ばれていましたし、
民間の陰陽師を太夫と呼ぶ地域もありました
いずれにしても、過去帳にそのような記載があるということは、ご先祖様が
太夫であることを誇りにされていたのではないでしょうか

162 :じゅうべい:02/01/29 19:47 ID:Dg1LqI24
「大工寮」ではなく、「木工寮」です
また、本来は「大夫」と書き、「たいふ」と読んでいたようです

163 :百済:02/01/29 19:51 ID:DIifycKK
>161
宮中という言葉がありますが、いつの時代のことだったのですか?
藤堂氏が入城し、城等の普請をする際に必要なので連れてこられたの
でしょうか? 他文献では、発祥は河内だけど、その後は近江蒲生郡
(長浜市)に移り、そこから伊勢に移住したとなっています。
藤堂さんは近江の人ですからね。

なんか、軍需兵器を手広く行っていたなんてことで、先祖は過去のこと
を消したのでしょうか? 同家では商いを継承することなく、国学に転じ
(やちまた=芭蕉国学)、津藩校で長く勉強し、明治の廃藩で上京。その
頃、国策で有給の東京師範専門学校に通って勉強し、故郷では明治近代
教育の祖ということで、誰も居ない墓地に石碑が建っているようですが、
誰も興味がないようです。

164 :百済:02/01/29 20:02 ID:DIifycKK
尚、江戸時代、先祖家は、三重の中北部の鋳掛職をほぼ手中に治めて
いたようです。従って、幕末の大砲の量産が可能であった、とのこと。

こういう家系というのは、センミンの頭?なんでしょうか。大砲を藤堂
にタダで献上したりしたので、藩からは給料や禄も貰っていたようですが。
ただ、大坂で銅を不当に買い占め、100日ほど、大坂奉行より拘禁をくらっ
たそうです。

ま、町人身分?が家内手工業から大量生産を行うようになった時点で、
身分の縛りが成立しなくなったのかもしれない。大正デモクラシーの時代に
凋落した理由も、商人よりも学者のほうが良いと思ったのでしょうね。


165 :じゅうべい:02/01/29 20:16 ID:Dg1LqI24
律令の官職制度では、ということです
織田信長が上洛した際には、蜂須賀正勝が修理大夫に、柴田勝家と
青山宗勝が修理亮に任命されるなど、実際の職務としてはわかりませ
んが、肩書きとして官職名が用いられることは多かったと思います

大名の転封に伴っての職人の移住というのは、いろいろと伝承があり
ますが、文献だけでは確認は難しそうですね
例えば、蒲生氏郷が会津に転封する際に、蒲生郡の日野から木地屋
を連れて行ったといわれていますが、それ以前にも会津の木地屋は
活動していたともいいますし、いろいろな説があっても不思議ではない
のではないでしょうか

166 :じゅうべい:02/01/29 20:39 ID:Dg1LqI24
鋳物師とはいいましても、露店で鍋や釜の鋳掛を行う者、梵鐘を
専門に鋳造する者、藩のお抱えとして大砲の鋳造を行う者など、
いろいろな形態がありましたので、一概には言えませんが、少なく
とも「賎民」ではなかったと思います

都市部においては鋳物師が居住を拒否されることもあったようです
が、それは火を扱う職業ということから、火事の予防という目的が
あってのことなのだと思います
(鍛冶屋や風呂屋も拒否されることも多かったようです)

167 :百済:02/01/29 22:00 ID:fEtvsvFW
ありがとございます。

手元にあるのはガリ版刷りで、しかもコピーの郷土史の一部ですので、
判読が困難な部分が多いです。

昔、祖母がエタさんを馬鹿にしたらあかんよ!と言ったことが気にかかります。
鋳物師の頭的存在だったからでしょうか? 冶金の仕事はタタラ場と同じで、
犠牲が多いです。しかも大砲や鉄砲製作となるともっと犠牲が多く命がけであ
ったという記述もあります。しかし多くの配下の鋳掛職を統制して大砲を製作
したご先祖はさぞかし気概のある傑物であったでしょうね。
大御所といっても、職人を見通せる居間に常時構えて、遠くから火の温度を指示
するほどの達人だったとか。とはいっても、野鍛冶を養うのは上品じゃ通用しない。
いや、祖母が言ったように、藩や大坂奉行と商いをするには身分差なんぞ、そんな
古いことを言っていたら仕事にならなかったと思ったりします。

論文の著者は、江戸の江川左衛門に匹敵する人物と持ち上げてますが、書かれたの
は昭和27年のこと。一瞬、江戸の弾左衛門と読み間違えてしまいました。

168 :百済:02/01/29 22:04 ID:fEtvsvFW
曽祖父の名は長弾左衛門と言って、津市の谷川士清(和訓の栞の創設者で
国学者)の近所に住んでいたそうです。

169 :白山東光:02/01/29 22:07 ID:as9hz/cG
http://www.pref.mie.jp/TANBO/Q&A/32.htm
津藩における鋳物師に関する資料のようですが、
百済さんのご先祖様はこの中にいらっしゃいますか?


170 :百済:02/01/29 22:22 ID:fEtvsvFW
おります。辻・奥山とは違います。若林家という資産家?は祖母の義妹
が出た家かもしれません。いずれにしても、明治維新以降、本家はもと
より、その他も上京組が多いので、詳細は不明みたいです。
曽祖父は大坂ではなくて江戸表に出ていたみたいです。
津市金屋町っていうのは今の何町ですか?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/30 21:06 ID:3QQJkfzQ
本当に松本さんどこ行ったの?
じょにーがなんかいらんことしたんか?

172 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/01/30 21:21 ID:qHwq0l2m
>>171 しとらん。 たぶん図書館通いの日々かな。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/30 21:31 ID:Sg8lNVtx
じょにーがいぢめたからじゃ。
主役がいないとおもろない。
コテ犯を変えて、活躍中?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/30 21:37 ID:v4G/Wtk9
部落の部って文字が苗字にあっても関係ないの?


175 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/30 22:00 ID:DLewH8wc
>163
>同家では商いを継承することなく、国学に転じ、
>津藩校で長く勉強し、明治の廃藩で上京。その
>頃、国策で有給の東京師範専門学校に通って勉強し、故郷では明治近代
>教育の祖ということで、

今、NHKで吉田松陰を見てたけど、あんたのような町民身分でどうして
藩校に行けたんだい?嘘つくとばれるよ。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/30 22:06 ID:O+SwjeEW
>>170

>津市金屋町っていうのは今の何町ですか?

高州町


177 :久米弘:02/01/30 22:10 ID:BVm6/enV
やぱりな。百済は法螺吹きで墓穴を掘ったな。ハハハ

178 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/01/30 22:27 ID:M+3Fimnd
しばしまたれよ。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/31 08:24 ID:8ueqR2s9
>>175
藩校というのは、別に武士の子弟だけを対象にしていたわけではないし、
それに、町人から武家の養子になったり、町人でも武士と対等の扱いを
受けていたりといった例だってあるんだし、なんでそれが「嘘」だなんて
わかるんだい?

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/31 10:56 ID:zdRNEmRy
>179
エタが藩校に通えるか。ばーか

181 :179:02/01/31 15:14 ID:8ueqR2s9
鋳物師は「エタ」ではないぞ
ここまでのスレちゃんと読んでるか?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/31 15:20 ID:PFb9BAHm
百済って何様?
あいつまえからおかしな発言が多かった。

法螺吹きバレてもうこられないだろうけどな。

183 :三重県人:02/01/31 15:30 ID:AMoaHE/B
何様でもないけど自分のルーツ知りたくて
こうだと結論として書き込んどるわけではないでしょう。
情報くださいと言ってみえるんでしょう。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/31 15:54 ID:zhEET17c
えーと・・
藩校って武家の指定が対象じゃないの?
町人とかは寺子屋じゃないの?

と言ってみるテスト

185 :184:02/01/31 15:55 ID:zhEET17c
○=子弟
×=指定

逝って来ますスマソ

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/31 15:58 ID:d7UD8SiP
先祖様が高名な人だと気が付いても親戚が何も知らんということが
しばしばある。洋の東西を問わず、自分が何モノなのかを探求する
人は多い。英国人で苦心して調べた挙句、先祖が有名な盗人であっ
たことを突き止めた高名は人がいたな(名前は忘れたけど)
「だから、俺の息子は窃盗癖があるんだな・・・」と思うことも
あるかもしれんが、ある程度の大人であれば、好奇心の範囲内で
先祖のやっていたことを認識できるじゃないか?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/31 16:01 ID:d7UD8SiP
>184
藩によっては豪農を武士身分に認めた例があったようだ。土佐藩や
紀伊藩、とか。藤堂といえば伊賀上野も範疇なのだから、忍者も
特待身分じゃなかったか?

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/01/31 17:50 ID:n8jVZ4mC
無足人でそ。
なんか、苗字帯刀許された士族身分相当の農民でそ。
詳しくは知らんけど。芭蕉もそうでそ。あ、本居宣長か?
いずれにしても東海道の要衝と伊勢参宮街道を抱える藤堂藩では
変則的な身分的制度があったとか聞いたことがある。

189 :くたばれ百済隊:02/01/31 18:17 ID:/kuwIGy1
無足人 
無宿人 幽霊 無産人
どれが正解だよ? 

190 :木枯らし紋次郎:02/02/01 11:01 ID:0W7sxCUf
あっしには関わりのネエことでござんす。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/01 20:38 ID:5QFPB67V
http://www.coara.or.jp/~gensin/intyou/007.html
http://www.shinetsu.yusei.go.jp/shibata/sibatasrc/5th.html
http://www.kurikoma.or.jp/~chisaka/ichihan.html

こういう例はいろいろありそう
ようするに、>>175はなんの根拠もなく、人を法螺吹き呼ばわりする
失礼な奴だということでOK?

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/01 23:20 ID:/BrI3c8P
『三重県地方史研究備要』によれば、津藩の職制も時代に対応して
変化しました。江戸時代後期にもなると、新官職が設置され、ます
ます複雑になっていきました。それに、当時は家格門閥が優先され
ましたので、その家にあった役職に就くことが多かったようです。
 また、津藩は、藩士だけではなく、普段は農村に居住し、いざと
いうときの予備兵力として無足人という農兵組織を持っていました。
無足人は、身分的には農民でしたが、苗字帯刀を許されており、元
来は村の有力者だった者が多かったようです。しかし、時代が下る
に従い、藩の資金調達のために上納金による無足人の取立てが盛ん
に行われ、その人数も急激に増えました。これら無足人は、幕末に
は天誅組騒動・戊辰戦争などの戦闘に駆り出され、藩兵として戦い
ました。


193 :花田秀次郎:02/02/01 23:31 ID:hqY7EwIZ
異議無し。アラシなんかに負けるな!!!

194 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/04 21:06 ID:nL4yhX6A
age tokimasho

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/04 21:44 ID:TQS0o1F3
2月24日に京都市国際交流会館に田中洸人氏が来ます。
http://www.astroarts.co.jp/news/2002/02/01lecture/index-j.shtml
http://nara.cool.ne.jp/mituto

196 :プシ子。:02/02/05 04:05 ID:mwuYz7Z1
http://mentai.2ch.net/rights/kako/973/973697770.html

197 :じゅうべい:02/02/06 16:16 ID:7Sq7XJI6
「穢多」身分が制度として確立されるのは元禄・享保期以降だと
いわれています

例えば、元禄8年(1695)に河内国更池村が本村と請書を交し、
集落の周囲を竹垣で囲むこと、正月の門付け芸を禁止すること、
祭礼の際に氏神の境内に立ち入らないことを命じられています

また、それまでは人別帳の最後に「穢多」として記載されていた
地域でも、この頃から百姓・町人とは別の人別帳を作成し、提出
するようになっていきました
人別帳を別帳化するということは、「穢多」が百姓・町人とは異なる
身分として統制を受けるようになったということです

198 :じゅうべい:02/02/06 16:37 ID:7Sq7XJI6
「穢多」が身分として確立される過程には、生類憐れみの令が強く
影響を与えたと考えられています

生類憐れみの令では、病気の牛馬を捨てることを禁じ、その死骸を
放置することも禁じています
これによって、牛馬の死骸から皮を剥ぐ「穢多」に対する統制も強く
なり、貞享5年(1688)に伊勢亀山藩で出された藩令では、「穢多
皮を取り候ハゝ即座に埋」めるように命じられるなど、牛馬の死骸の
取り扱いを規制する法令が各地で出されるようになっていきました

牛馬の死骸を扱う「穢多」は、「生類憐れみの儀」に反する存在である
とされ、卑賎視が強まったのではないかと考えられています

199 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/06 18:39 ID:opq8xzjT
そうですか。文献では、三重県の諸藩では、エタよりもササラ
(芸能漂白民)が多いと記されていましたが。芸能の民は伊勢音頭
を歌い、それは後に浪花節になったとされています。

200 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/06 21:26 ID:KDQfmwIc
太閤検地では、確か一里塚で課領地を計測したんですよね?
でも、正確に一里ではなかった地域があります。例えば寺社領など。
中世後期に、条里制は崩れていたわけですが、口分田の跡が正確な
地域もあります。検地は口分田(条里)を基調に行ったのでしょうか?
検地で敢えて計測しなかった地域もあると思います。いわゆる免税地。
太閤に協力した民の土地とか・・・
これは推測ですが、当時、検地から漏れて優遇された人々の土地も
いわゆる差別の対象になっていったのではないかと思うんですが。
賊軍の土地もあろうかと思います。

201 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/06 21:30 ID:KDQfmwIc
フェルディナントのゾフィー、やってますね。
サラエボ事件の真相は、どうなんだろう。
ハプスブルグ家自体、被差別じゃなかったかな?
ゾフィー、いや、ソフィーの選択ね。

202 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/06 22:36 ID:KDQfmwIc
室町時代1338年〜1583年あたり? この250年って
江戸時代に匹敵するのに、あまり好まれないよね?
わたしは、この時代がもっと知りたいけど。
中世といっても、鎌倉幕府は別途と思いますが。
NHK大河でやったっけ?

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/09 11:09 ID:APAfHDsU
/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ 
1.近親交配による劣性遺伝形質発現の確率は決して低くない。
 
 近縁の者同士は似た遺伝子をもっているので同型接合体が生じやすく、
  普段は発現しないような劣性形質が現れやすくなる。
  自家受性なら持っている劣性遺伝が100%発現する。
  劣性遺伝は2つ揃わないと発現しないので致死性であったり生存に不利な
  形質であったりしても「完全に淘汰」されることなく遺伝子プールに残る事が
  できる。
  ある環境では生存に不利だった形質が環境の変化で有利な形質として返り咲く
  こともある。

/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ 
2.突然変異は、ある日突然発生するのではない。
 
その伏線として長い期間、ある性質の一定の方向性が蓄積されていき
  それに耐え切れなくなり、ある日突然のようにして、ある変異が発生する。

/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄/ ̄ 
3.犯罪遺伝子は存在する。

アル中から犯罪に走る人を対象に脳内物質セロトニン受容体遺伝子 5-HT1B
  の変異を調べたところ、その多くにマウスで狂暴性が発揮される場合と同様な
  変異が認められている。
  他にも脳内物質の代謝異常と犯罪率との 相関を指摘できるケースも多く
  知られている。


204 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/09 16:00 ID:jTk2vKdD
で、それがどうしたの?
部落民は近親相姦ばかりしてるから、凶悪犯罪を起こしやすいとでも?

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/10 22:00 ID:0yzOG03v
age

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/11 10:18 ID:ivhlqJWc
>200
わしもそう思っておったが、

207 :じゅうべい:02/02/11 10:53 ID:u0I1jv7S
元禄・享保期以降に「穢多」が身分として確立されたと考えられている根拠と
して、他にも過去帳の別帳化と差別戒名の使用が挙げられます

「宗門改め之儀に付御代官達」という法令が出され、宗門改制度が確立された
のが寛文11年(1671)だといわれており、早い所ではこの時期にすでに差別
が見られますが、それが全国的に行われるようになるのは元禄・享保期以降の
ことだといわれています
貞享4年(1687)には「ころび切支丹」に対する統制として、「其ノ訳一人宛別に
委細書付ケ」て別帳化し、父母・子息・親類までも「入念ニ穿鑿致サルベキ事」を
檀那寺に命じる法令が出されていますので、過去帳の別帳化や差別化戒名の
使用にも、この法令が影響を与えたとも考えられています

208 :じゅうべい:02/02/11 11:06 ID:u0I1jv7S
長野県下で行われた調査では、宝永4年(1704)から過去帳の別帳化が
見られる部落や享保10年を境にして「長吏」から「穢多」へと呼称が変わる
など、「穢多」身分がこの時期に確立されたことを推測させる寺院関係の
史料が残されていることが明らかにされています

「長吏」とは、幕府が定めた公式の呼称である「穢多」を嫌い、主に東日本で
用いられた呼称で、江戸の弾左衛門も奉行所などに提出する文書には「穢多
頭」と書き、それ以外では「長吏頭」と書くことが多かったそうです
(西日本では主に「かわた」という呼称が用いられた)

209 :じゅうべい:02/02/11 11:35 ID:u0I1jv7S
書き落としてしまいましたが、「享保10年」は「1725年」です

享保5年(1720)には「村々穢多・非人ノ類」の宗門改をする際には、
「穢多・非人別帳ニ指シ出」すことを命じる回状が周辺の名主に対して
出されています
それに続けて、「若シ宗門帳改等ニはづれ候得類別之有ルハ、越度
トナスベク候間、随分念入リニ申サルベク候」とあることから、宗門改
制度が人民の統制に利用されていたことがわかります

210 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/11 16:35 ID:JYPg/KnE
荘村とかどう思いますか? 
とある村では本村がある、実りの無い土地に枝村がある。枝村は村の端に散在する。
この枝村が農村民の嫌がる仕事などを世襲していたとか。

211 :https://mokorikomo.2ch.net/:02/02/11 19:58 ID:3TN1s9Oz
東京都千代田区 男 60 O.I

212 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/11 20:17 ID:QOMP9htl
中世起源でしょうが。やっぱ。17世紀末とする根拠は史料によるものでしょうが、
歴史は継続する、という観点から考察すると、宗門改帖・過去帳の別帳化と差別戒
名の使用があって差別されたんじゃなくて、既に差別されていたから分離されたん
じゃないでしょうか?
宗門改めはキリスト教徒の弾圧であり、一つの根拠とは推測できるが、それが全て
ではない。クリスチャンは被差別民となったほうが生き長らえたという書物も読み
ましたけど。荘村の発達史をちょっと調べ直さないと。

213 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/11 20:52 ID:QOMP9htl
惣村でした。ごめんなさい。惣町というのもありました。
惣村は14世紀の南北朝時代に、東海北陸以西に発生したとされます。
いわゆる集落を束ねる惣です。一つの惣村は住民自治に近いものが
ありまして、いわゆる村長(酋長、長老)と村民が地縁的な関係で
かつ重構造で結ばれていた冠婚葬祭互助機能をもった自治村だと思
います。冠婚葬祭を行う集落は、本村ではない村際の辺境地などに
住んでいて被差別的集落を形成していた。
16世紀末、太閤検地により、惣村や惣町を解体しました。国家統一
の一歩です。その政策の基本になった検地帳は被差別部落には直接
下付しなかった。これは、被差別部落が独立村として把握されず、
自治も認められていなかったからです。惣村内部におおわれていた
被差別部落(穢多、きよめ、非人、河原者等)に対する差別が国家
公認されたと思われます。

214 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/11 22:28 ID:aZ/DrEC9
これは推測ですが、当時、検地から漏れて優遇された人々の土地も
いわゆる差別の対象になっていったのではないかと思うんですが。
賊軍の土地もあろうかと思います。

↑書きましたが、「検地から漏れて優遇された人々の土地」ではないですね。
文化の醸成の過程で、呪術的公務をおこなってきた集団(集落)は俗視化され
ていき、その職業の有り様のみを見られ、「穢れ」として忌み嫌われたと思い
ます。仏教の歪みもかかわりますが、惣村内には氏神様が必ずあったので、
やはり、救済の対象(疾病、孤児など)たる集団への施しが、差別視に転じた
と思います。貧乏人が差別されるのは理解できるでしょう、いつの世も。


215 :じゅうべい:02/02/12 16:13 ID:xlpt1wRA
>>200
江戸時代初期に東海道と東山道が整備された頃から、「穢多」村は
里数の計算から外されていたそうです

例えば、文政9年(1826)にシーボルトが江戸を訪れた際に書き残し
た『江戸参府紀行』には、「不浄だとして排斥されている穢多という階層
のものが住んでいる区画は、たとえ数時間を要する距離でも、ある場
所から他の場所までの距離にはかぞえられないし、輸送の場合にも
計算にはいらないという風習は奇妙なことだ」とあります

このような風習が、百済氏が言われる「いわゆる免税地」に由来するも
のなのかはわかりませんが、その問題を考える際の手掛かりの一つに
はなるのではないでしょうか

216 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/12 16:23 ID:m5jwjTpv
一里塚を実際に歩いて検証している人も歴史好きな方にはいらっしゃると
思います。ただ、意図的に取り除かれた塚もあろうし、時代とともに喪失
した地域が殆どでしょうね。

217 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/12 18:17 ID:1QbUtzo0
私は自分の先祖をただ今調査しています。私の先祖が被差別民で
あったとしても別に気にしません。結婚差別はまだあるようです
が、それは個人の弱さだと思っています(結構暴論かな?)
結婚によって融和・同和が進んだ例もあります。これは部落だけ
ではないです。身内に精神障害者がいる、犯罪人がいる、ヤクザ
がいる、放火魔がいる、外国人がいる、、、ということで破談に
なるのならば、それだけのモノなんですよ! 今は晩婚の時代で
しょ? 30過ぎた男女が結婚するのに、どうして身内に寄りかか
るのかが不思議。また、大学進学についても、金持ちでも貧乏で
も、基本的に本人がアルバイトをして学費や生活費を稼ぐのが当
たり前。夜学でもいいんだし。私の周りでも、子供の学費のため
に親が困窮しているのを見るとゾッとします。どうして親がそこ
までするのだろうか、と。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/12 23:05 ID:QNA8F9g6

話がそれてますよ、おばはん。

219 :ゆうちゃんママ:02/02/12 23:38 ID:qYo/Asce
>>218同意見!おやだからあたり前っしょ。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/12 23:52 ID:rD7YXOce
アホ!

221 :ゆうちゃんママ:02/02/13 00:01 ID:yPhkFJHo
誰がアホじゃ!単語で言うなや。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/13 00:35 ID:kCSAdMmp
ゆうちゃんママ が あほ です。

223 :たいへんだ〜。もめそう〜。:02/02/13 02:40 ID:d2ugtNB5
ゆうちゃんママ VS 百済 ◆OXLav4ic

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/14 15:58 ID:FTe3kRMC
松本閣下のご帰還を祈念してageときます

それにしても、閣下はどこ行ったんだろう・・・・

225 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/14 17:52 ID:EVsDzjpM
>「穢多」身分が制度として確立されるのは元禄・享保期以降だと
>いわれています

我が先祖は元禄期に勢州に移住してきています。過去帖の一代目は元禄です。
となると、この時代、容易に移住が許されたのかが疑問です。
「穢多」身分が制度として確立されるのは元禄以降とすると、身分制度が制定
されたため、土地に居づらくなって勢州に逃れてきたのか?と思えもします。
藤堂藩がいつごろ「穢多」身分が制度として確立したがご存知ですか?


226 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/15 08:56 ID:aS5laz5Y
享保期(吉宗の代)に慣習法から成文法へと変わったっていいますし、
「制度として確立された」というのは、そういう意味もあるんでしょう

227 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/15 16:27 ID:2GYkodL8
↑そうしますと、「穢多」身分は、元禄期以前は制度がなかったので、移住は可能で
あったということですね?

228 :KLOLJBK+JHN:02/02/15 23:10 ID:bGo9/Zkm
だから百済は中世の古式ゆかしいBということで決定。

229 : ほほほ:02/02/16 03:45 ID:AaBsyeyG
そうしますと、「穢多」身分は、私なんですね。

230 :白山東光:02/02/16 18:24 ID:dzb70vuP
>百済さん

百済さんのご先祖様は鋳物師なのですよね。
鋳物師は穢多、皮多と明らかに異なる職能民ですよ。
鋳物師は中世に諸国を遍歴して梵鐘や灯籠などの鋳物
を作り売り歩く職人であり商人なのです。
一般農民とは異なる故一種の卑賤視をされていたようですが、
非人や雑種賤民にも属さないと思います。

神奈川大学の網野善彦先生の著書などは参考になりますので
ご紹介いたします。
網野善彦著「無縁・公界・楽」(平凡社選書)

ついでに、このスレで話題になった検非違使については、
丹生谷哲一著「検非違使」(平凡社選書)
がお薦めです。




231 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/16 21:37 ID:lCX9aOug
>>156
鋳物師の統制について、訂正しておきます

もともとは新見家が鋳物師を統制していたのですが、戦国期に窮乏した有弘が、
真継新九郎から借財をし、返済ができなくなったために、新九郎の子である久直
に権限を譲らざるをえなくなりました
それが天文5年(1536)のことであり、この相続をめぐって新見家と真継家の間
で争論となったのですが、天文12年(1543)に後奈良天皇の綸旨が発給され、
久直の相続が承認されることになりました

その後、真継家の活動は一旦は下火になりましたが、貞享4年(1687)に珍弘が
越前国の鋳物師に対して年貢徴収のための判物を出して以降、盛んな活動をする
ようになっていきました
幕府による承認もなされたはずですし、真継家を通じての鋳物師に対する統制は、
この時期に確立したとすることができるのではないでしょうか

232 :じゅうべい:02/02/16 21:39 ID:lCX9aOug
名前を書き忘れてしまいましたが、じゅうべいです
(って、言わんでもわかるよな)

233 :じゅうべい:02/02/17 18:26 ID:ZsBmnPAK
>>225
鋳物師の移住の例としては、近江国栗太郡辻村の鋳物師が、
17世紀の半ば頃から美濃国の関や笠松、大垣に移住していた
らしいことが、梵鐘の銘などから明らかにされています

百姓・町人身分である鋳物師は、宗門送・人別送などの手続き
を行いさえすれば、自由に移住できたのではないかと思います
(移住先の鋳物師集団が受け入れるかは、別の話ですが)

234 :じゅうべい:02/02/19 09:44 ID:f3GHlt+2
慶長9年(1604)に豊臣秀吉の七回忌に際して、大仏殿の前で施行が行われ、
その風景は『豊国大明神臨時祭日記』によると、「乞食・非人・鉢たたき・唱門師・
猿使い・盲人・いざり・腰引き・物いわず・えた・皮剥ぎ・諸勧進の聖・異類・異形」
が多数集まり、「御慈悲は上より下る。有難し、忝しと声々に呼ばわり、哀れなる
様、目も当てられぬ様体」であったそうです

これと同じ年に成立した『日本大文典』の「七乞食」の項目には、「日本人が物貰
ひと言ってゐるもの、又は日本で最も不賎な者共として軽蔑されてゐるものの七
種類」として、「猿楽」「田楽」「ささら説教」「青屋」「河原の者」「革屋」「鉢こくり」が
挙げられています

235 :じゅうべい:02/02/19 09:57 ID:f3GHlt+2
これらのことから考えて、この時期には皮革加工に携わる者だけが
「穢多」と呼ばれたわけではなく、「河原者」が職掌としていた土木や
作庭などのうち、皮革加工だけが独立した職能として扱われる過程
であったとすることができるのではないでしょうか

そえは軍需産業として皮革加工が重視され、武士との繋がりを強めた
ことによるのではないかと思いますが、それによって身分として上昇を
したわけではなく、牛馬の死骸を扱う職業であることから、卑賎視され
る存在であり続けたことは確かでしょう

236 :百済 ◆OXLav4ic :02/02/19 10:20 ID:XT1RQ7m5
中世と、その以前では、トンデモかもしれませんが、公家とセンミンとの
繋がりが深かったのではないかと思ってます。

237 :さぁぁ:02/02/19 20:54 ID:sBRIwUq9
>>236
牛車とか?

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 19:17 ID:sUfg6AG/
奈良/平安の頃、御上に抵抗した関東、東北地方の蛮族たち(えみし、と呼んだらしい)を少人数づつ各地にい移配し、製鉄等の重労働を課した。
そういう処はかつて別所と呼ばれ、現在の同和地区へと繋がっているケースが多い、と聴きました。
関東近辺では「白山神社」や「東光寺」が隣接している場合も多いとか...
また、アニメ「もののけ姫」もじつは根底に差別問題が流れているとか....
なんか、すっきりとしていて判りやすい仮説だと思うのですが、これってヨタ話?

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/22 20:48 ID:PHYFNGhw
もののけ姫はサンカがモチーフじゃないの?

240 :白山東光:02/02/22 21:01 ID:WEsFJZuW
>238
菊池山哉先生の説ですね。
>関東近辺では「白山神社」や「東光寺」が隣接している場合も多いとか...
神奈川では多いですよ。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/23 10:17 ID:GJSLNXCt
菊池山哉っつーと、松本閣下の愛読書ですな

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/23 14:21 ID:UTjGBmyj
>238
白山神社と弾左衛門の関係については白山神社スレッドでも語られています。
長野県は弾左衛門の支配外でしたが、部落にはかならずといって良いほど
白山神社があります。

>241
松本閣下はついに消えてしまいましたね。
惜しいコテハンをなくしたものです。
教祖様の最後を思い出します。

243 :http:// pae0ac0.sgmipc00.ap.so-net.ne.jp.2ch/net./:02/02/23 21:15 ID:mdwaQO9+
burakusearch兵庫県

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/23 21:40 ID:jvaDnIVk
>>242
教祖様はいまだに書庫で資料を探しておられるのだろうか?

245 :小一時間問い詰めたい、:02/02/25 15:47 ID:czQAlRJH
>>239
あれはサンカか?川魚漁や竹細工をしていたか?
本当はサンカと言いたかっただけなんじゃないのか?

246 :https://mokorikomo.2ch.net/:02/02/25 16:04 ID:m37sTXlc
京都府京都市伏見区 20 女

247 :https://eta-kawata.net.ne.jp.2ch.net/ :02/02/25 18:50 ID:mIGtSZ1r
京都市伏見区竹田狩賀町京都市営竹田住宅
25才公務員男

248 :質問:02/02/27 09:02 ID:qljCvr6j
新参者なんですが、教祖様って誰ですか?
この板では有名だった人なんですか?

249 :白山東光:02/02/27 21:29 ID:sbfKzXE7
教祖様 「合理的平等♪」
http://piza.2ch.net/log2/rights/kako/960/960800019.html

250 :じゅうべい:02/02/28 15:35 ID:6+hWhW0f
>>212
寛永19年(1642)の『可笑記』という仮名草子に、天下の宝の第一は
人であるが、「人のなかにも士農工商の四民を以てたからとす」るべき
で、「此外の者は遊民として何の用にもたたず、ただ鼠のごとし」とあり、
「遊民」に対する差別観念があったことがわかります

ここで「何の用にもたた」ない「遊民」とされた者の中に、当然「穢多」も
含まれています

251 :じゅうべい:02/02/28 15:47 ID:6+hWhW0f
このような差別観念をさらに押し進め、「穢多」の職分や居所、支配、
衣服に規制を加え、身分として確立することを主張したものに、寛文
5年(1665)に山鹿素行が書いた『山鹿語録』があります

そこには「公罪を行はるゝの時はこれを執行せし」め、「そのおく処遠
かるべし」とし、「中間に五人組を立て、その頭を申付け」て、さらには
「衣類紋処にもそのしるしを定むべき」とあります

「穢多」に対して規制を加え、さらには身分として確立させようとする思
想が儒学者の立場から提示されたことには大きな意味があったと考え
られています

252 :じゅうべい:02/02/28 15:56 ID:6+hWhW0f
『山鹿語録』には「穢多牛馬の皮を剥取らば、乃其のからだを埋むべし。
牛馬の身を切取りて、鹿狸の肉と一つにして人を偽ること甚だ多し」とも
あります
そこから「穢多 皮を取り候ハゝ即座に埋」めるように命じた亀山藩の法令
に通じる牛馬の死骸の扱いを規制し、それによって肉食を禁止させようと
する意図を読み取ることができそうです

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/02/28 20:12 ID:oPX7yOoa
>>252
なるほど食肉の偽り表示はそのころから
あったのか。。。

254 :もっこす(元看板男候補) ◆08EeniEM :02/02/28 21:12 ID:nOhCqWwT
江戸とは違い、大阪のえたは、消防も担当していました。
そこら当たりはどう評価しますか。


255 :デバガメ:02/03/01 20:14 ID:3Mv+jBDe
去年以来ここへ来ていなかったのでわからないのだが
研究熱心な松本氏を知っている方に質問
彼は元士族の家柄で肉は食べるのか?

256 :じゅうべい:02/03/02 19:01 ID:92cMRj1z
>>254
『摂陽奇観』の享保16年の条には、大坂三郷が大火に見舞われて以降、
渡辺村の「穢多」に消火協力の義務が課せられてそうです
大坂にも町火消しが存在していたようですが、それだけでは対処できなく
なり、新たに義務が課せられたのだと思います

中世には検非違使の管轄下にあった「非人」が、罪人の家の破却や火事
に際しての片付けなどにも動員されていましたので、それ以前からも消火
活動を「穢多」が行うことがあったのかもしれません

257 :じゅうべい:02/03/02 19:11 ID:92cMRj1z
明治28年(1895)頃の『浪華百事談』には、明治以前には大坂市中の
「人家の大やねの外面の端のところに、経り曲尺四寸ばかりの、小太鼓
を釣」っておくという光景が見られたが、「是は穢多村より掛るものにて、
穢多の富豪より金をかれば、必ず其家に太鼓をかけて、火災ある時は
穢多村の消防方、其家を助けて焼かずと、其目標の為のもの」であった
という噂があったことが記されています

渡辺村には太鼓屋又兵衛という金融業を営む富豪がいたことと、「穢多」
が消火活動を行っていたということが結び付けられて、まことしやかに語
られるようになったのだと思われます


258 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/02 19:36 ID:Cvc55pSb
メインはこっちです

http://life.2ch.net/test/read.cgi/fashion/1014847625/




259 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/03 20:32 ID:yEWy0PWv
>>255
肉は食べるが、あくまでも「薬」として食べてるんだよ
だからエタのようにケガレたりなんかしないんだよ

こういう屁理屈をこねる奴等が部落差別の元凶だったのです

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/03 23:01 ID:qPJmFV+K
>259
すみません
よくわからないのですが、それは最初の2行が松本氏の言葉なのですか?

261 :259:02/03/04 08:48 ID:4jkJcKKI
松本氏ならば、こんな台詞を言うだろうという推測です
(明治以前はこういう名目で肉を食ってた人も多い)

262 :白山東光:02/03/04 16:23 ID:6PwXnII7
>261
>(明治以前はこういう名目で肉を食ってた人も多い)
彦根藩の近江牛のみそ漬けが有名ですね。

宝永6年に生類哀れみの令が解かれた後に、
将軍家や親藩、老中に寒中見舞いとして、
また薬用として贈答されています。

特に11代将軍の家斉は牛肉を好んで食していたようで、
歴代将軍の中で最も長生きをしたとともに、
46人の側室に55人の子供を産ませたことで有名です。
(実に羨ましい)
牛肉は立派に薬として役立っていたようですね。


263 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/04 22:43 ID:03I7pzwH
久しぶりに来たけど、前スレが読めない。
誰か持ってない?過去ログにもないし。


264 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/04 23:04 ID:M8lTq+P7
dat落ちしたログは、これがないと読めないのだ。
http://2ch.tora3.net/index.html

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/04 23:46 ID:72QRDW/n
1年$33だって。高すぎだよ。


266 :チンカス:02/03/05 01:08 ID:Ph3x12BQ
http://members.tripod.co.jp/trotzdem/data.htm
こういうデータはがいしゅつですか?

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/05 14:39 ID:kymXBknb
↑松本ちゃんが大きな根拠としていた延喜式の俘囚料と比較しても、
 同和関係人口の多いところとほとんど一致しないんだよね。
 兵庫と福岡くらいかな。俘囚料は、もっと多いところがいくつもある。


268 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/05 14:41 ID:EDavg/ml
天領というか、御厨・御薗・神戸、といった地域は?どうなの?

269 :名無しさん@お腹いっぱい:02/03/05 17:07 ID:ex+K7CA2
昔、昔天皇が亡くなると「もがり」の儀式をした。これは神が天に召されるまでの
一定の期間が必要であった。この間の遺体の世話をしなければならない、この世話を
した人々が居た。後世になってこの人達は、社会からはじきだされた。天皇が神でな
いことを、知られたら困るからであろうか?理由は解からんが、・・・
「穢多」という字は「穢れ」という字が使用されている事に注目しよう。
この、字の読み方は一般人ではほとんど使われる事がないと思いませんか?
最近では、雅子様が出産したときアナウンサーがポロッと口にしました。
こんなところに、「天皇制」と「部落」の関係を感じるのですが・・・


270 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/07 17:30 ID:RM6maC3h
起源age

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/07 17:56 ID:oZzcM0H/
もともとは政変でリストラされた職能民が復権を願ったのが起源ね。
穢れの仕事は、動物解体や刑場等の血を扱う仕事などに継承されて
いったのね。食肉解体を含む食肉関連は現代では、その復権の象徴。
起源とか差別とか武器にしなければ別に構わないんだけど。だって
職能があるんだから。

272 :じゅうべい:02/03/08 09:30 ID:Xo1M611E
>>123
江戸時代の前期には犬とともに鳩や雀、鶏などの小鳥も用いられていた
ようですが、享保期に吉宗が鷹狩を復活させて以降は小鳥が主になって
いったようです

鷹餌御用商人が「殺生人」を雇って関八州で小鳥の捕獲を行わせていた
ようですが、享保5年(1720)に麹町の六衛門店新兵衛が鷹餌の上納を
一手に引き受けるようになりました

この「殺生人」と呼ばれた人々がどのような存在であったのかはわかりま
せんが、金一両につき雀250羽を上納するように定められるなどされてい
ましたので、「殺生人」はかなり多かったのではないでしょうか

273 :百済:02/03/08 12:32 ID:LwfUsiSy
>268
御厨・御薗・神戸、といった地域は神領です。

274 :神領探索:02/03/08 18:58 ID:xFAjyYEM
御厨・御薗・神戸って全国にある地名だよね? 苗字にもあるし。
で、全国の「御厨・御薗・神戸」という地名のある場所を拾い上げたいね。
いちばん有名なのは兵庫県神戸市、三重県では地名じゃないけど駅名が伊賀神戸。
三重県Z市には町名に神戸がある。他にないのかな? みんなー、教えて。

275 :百済 ◆OXLav4ic :02/03/08 20:45 ID:HcSrxdzr

●神領・社領●1
 各地に神戸という地名があり、カンベ・コウベ・ゴウド・カムトなどと訓まれる。
これらはいずれも古代の神戸があったところで、歴史的にはカンベと訓むのが正し
い。また神田という地名も各所にある。神戸も神田もともに古代の神社の領地で、
総称して神領といった。神戸というのは、中央政府によって各神社に寄せられた封
戸のことで、戸は家族の集合体であり、それが神社に直属せしめられたのである。
その戸口(家ごと)から租庸調、つまり税と労役とが神社に貢進提供されるのであ
って、『令義解』に、神戸の封丁は社殿の修造およびその他の雑事に役し、租と庸
とは神社の祭祀料と神職の俸禄等に充用するとある。
 神戸が人を対象とするのに対し、神田は土地の領有形態である。とはいっても、
神田は国家の公地(公田)をその神社に賃貸した地子田であり、厳密には私有地で
はなかった。それがのちには半ば領有地として恒常化した。神田は御戸代田とも、
神戸田地ともいうように、神戸の民または近傍の農民をして耕作させ、神社はおお
むね生産物の二割を田租として徴収した。

276 :百済 ◆OXLav4ic :02/03/08 20:46 ID:HcSrxdzr
●神領・社領●2
 このように、神戸と神田とは神社の経済を支える収入源であり、従って神社が、
神戸・神田を支配する形も生れた。また、神戸の数が一郡にわたって広く存在して
たところを神郡といった。神郡はその郡の租庸調の大部分が、その神社の収入とな
ったから、あたかも郡全体が神領のようであった。令集解・延喜式などから神郡を
拾うと、
●伊勢神宮 伊勢国度会郡他  三重県
●安房神社 安房国安房郡   千葉県
●鹿島神宮 常陸国鹿島郡   茨城県
●香取神宮 下総国香取郡   千葉県 
●日前国懸神宮 紀伊国名草郡 和歌山県
●出雲大社 出雲国意宇郡   島根県
●宗像神社 筑前国宗像郡   福岡県 
などがある。伊勢神宮の神郡は、度会・多気・飯野三郡を道後三郡、員弁・朝明・
三重三郡を道前三郡といい、これに安濃・飯高両郡を合わせて八神郡とも称した時
代があった。平安時代中期以降、全国的に荘園が増大したが、それに伴って従来の
神戸・神田は次第に有名無実となっていった。そして、有力な神社は進んでそれを
私有化しただけでなく、皇室や中央の権門勢家たちが自己の所有する荘園をこぞっ
て社寺に寄進することも盛んとなり、各地に神社の荘園が成立した。


277 :百済 ◆OXLav4ic :02/03/08 20:46 ID:HcSrxdzr
●神領・社領●3
 神社の荘園のうち、やや特殊なものとして御厨・御園がある。御厨はミクリとも
いい、もとは神社経済を賄う台所を意味した。それがのちに神領をさすことばに転
じた。とはいえ、史料的にみると御厨は、ほとんど伊勢神宮と賀茂神社とに限られ
ている。そして、鎌倉時代初期の神宮雑例集によると、伊勢神宮の御厨・御園の数
は全国で四百五十余処にわたったとあるが、同末期には千三百ケ処にも及んだこと
が知られる。御厨・御園からの供進物は米穀が主で、野菜・山菜・海草・魚介にわ
たった。賀茂神社の御厨も少なくないが、一般の荘園の方が多かった。
 賀茂神社をはじめ、春日神社・石清水八幡宮など、著名な大社はいずれも巨大な
荘園を全国にわたって領有するようになり、これらは例えば「春日社領何々荘」な
どといい、社領と呼ばれた。社領から貢上される収入が各神社の経済を賄ったので
ある。社領は名目的には領地であるが、実際には一定の率に則ってその土地の生産
物を収納するものであった。社領には武力はなかったので、鎌倉時代には社領保護
のために、守護使の入部を禁じたりした。しかし、中世後期になると、在地の武士
たちが社領を徐々に浸食し、さらに戦国時代には群雄によってその殆どが奪われて
いった。そして、これを決定的にしたのが豊臣秀吉の太閣検地で、社領はすべて没
収され、代わりにいくばくかの所領(石高)を朱印地の名で別途に安堵されたので
あった。

278 :アルビレオ越後 ◆hQQjEJGE :02/03/09 02:48 ID:di4pCDhQ
石清水八幡宮で思い出した。「中右記」より。1105年
今夕延暦寺大衆数千人、祇園に着し、輿をにない陽明門の下に群参す。訴え申す
の旨は、太宰師卿ならびに岩清水別当光清、検非違使左衛門尉範政共に流罪にさ
れるべきの由、左右を論ぜず責め申すの間、叫喚の声、すでに京都を驚かす・・・
・・・これは、延暦寺の僧侶たちと岩清水八幡宮の神民たちが都で激突!大混乱に
なり、神民が三、四人切られたという。この年代の前から、武装化した僧侶や神民が
群集し、強談判することが多くなった。時代が前後するが、白河院も神輿を担いで
強談判をする比叡山の僧、山法師を賀茂川の水と双六の賽と共に自由にならないもの、
天下の三不如意の一つと言ったそうな。
1094年藤原師通(学問を好み剛直な人柄)は堀河の関白になるが、1095年10月延暦寺
の僧侶たちが神輿を担ぎ入京し要求を朝廷に突き付けた。関白藤原師通は延暦寺の
言い分が間違っているので妥協せず、断固たる処置をとった。源義綱らに命じて僧侶
を向かい討たせた。神輿でも構わず矢を射掛けた。そのため延暦寺の僧侶や侍臣たち
は死傷し、撃退することができた。しかし貴族達には神輿が動座したことで畏怖を
与えることになった。
更に貴族たちを震え上がらせたのは、この事件から4年後に関白の藤原師通がまだ38才
の若さで、さほど病もなく急死した。神輿を射た祟りであると宣伝され貴族たちは恐怖
におののいた。以後、このような荘園領有を巡る強訴は多くなる。
そのもの達を迎撃することから源だの平などが寵用され武家の台頭につながる・・・
そして、増えた死体処理業などが盛況となり被差別部落が生まれた。
(かなり強引&NHKそして日本人が生まれたふうにしてみましたが、本気にしないでね)

279 :アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/09 02:55 ID:di4pCDhQ
トリップ間違えたので訂正します。
誤アルビレオ越後 ◆hQQjEJG
漢字コードの変換ミスです・・・うっこれで解析できてしまうかな?



280 :百済ちゃんへ:02/03/09 15:01 ID:brUcfJYZ
神戸、神田での神職能民の一部が被差別民となったわけ?

281 :デバガメ:02/03/10 02:17 ID:FjBnMxcL
>259
遅レスで悪い
なるほどそういう感じの人ですか
いやはや成長したものだ、松本氏

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/10 14:57 ID:1X0drxKv
その成長した松本氏はどこに行ったのでしょう?
3ヶ月近く行方不明のままですか?

283 :じゅうべい:02/03/12 11:43 ID:skI2xyfx
>>199
正徳2年(1712)に近江国の近松寺が、各地の説教職に対しての統制を強め、
最近は「身分芸道ノ基を忘却仕り、本山蝉丸宮ヲ離レ、川原者同様ニ相心得罷り
在り候義甚嘆ヶし」いとして、「不浄穢らわしき職又ハ村々番役並に牢番晒者等の
役義」を止めるようにとの通達を出しています

「説教者共諸勧進仕り候節、村々番人触り申し諸勧進相留め候」という状況に説教
者が置かれていたことに対し、勧進権の確保と卑賎視からの脱却という意図があった
ようですが、「不浄穢らわしき職」を止めればそれが達成されると考えられていたこと
に注目する必要があるのではないでしょうか

284 :じゅうべい:02/03/12 11:49 ID:skI2xyfx
伊勢国では元禄12年(1699)に36人の「ささら」が市中引き廻しの警護を
行うなど、説教職にある者が「不浄穢らわしき職」を行っていたようです

近松寺からの通達を受けたにも関らず、「不浄穢らわしき職」を止めなかった
伊勢神宮領の牛谷村と拝田村の「ささら」は、説教職を禁じられたそうです

285 :ふにゃら:02/03/12 11:49 ID:wRpudZTs
「不浄穢らわしき職」とは、どういう職業?

286 :ふにゃら:02/03/12 11:53 ID:wRpudZTs
「説教職」って何?

287 :「説教職」ってのは、:02/03/13 16:51 ID:gTWUYAS5
「説教」をお仕事とする人のことで、わかりやすく言えば、
「草野球をしていたのび太たちに窓ガラスを割られて怒る
空き地の裏に住んでるカミナリおじさん」のことです

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/15 19:25 ID:/tB+WlSV
>>285
罪人を捕縛したり、拷問したり、処刑したりとか
エタと職能が重なるから、「不浄穢らわしき職」として嫌われたのでは?

289 :このスレが議論面で最も充実してると思います:02/03/15 19:54 ID:teFt0Z0J

ちなみに、楠木正成の支配下にあった
千早赤阪村が該当地区となっている原因はなんでしょうか?

「由来」を知りたく思います

金剛山などは、関係ありますでしょうか?

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/16 01:18 ID:Sen67qgU
n県でネット差別者に対しての糾弾会が行われたらしいです。
詳細は分りませんが、部落の起源と称して差別発言を繰り返しそれを正当化しようとしていた男が以後一切の差別発言をしない事を文章にて約束したようです。蛇足ですけどその男は現在無職となったそうです。みなさんも気を付けましょうね。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/16 14:09 ID:Hv4OBHfT
>290
誰?

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/16 14:44 ID:DpYz3Pos
そういえば、珍味を見ないな。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/16 16:49 ID:Xesi/iXj
>>289
その書き方だと、千早赤阪村全体が該当地区みたいですよ
千早赤阪村に該当地区がある、ということですよね

正成の配下に「悪党」が多かったことが理由の一つ、なのかな?

294 :もっこす(映画狂モード) ◆08EeniEM :02/03/16 19:45 ID:Tv/3Prpv
>>290
ネタでしょ?
続報がないからね。


295 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/17 01:22 ID:F9RcGtCI
>もこす
お前だろ?チクったのは
相変らず卑怯だね

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/17 21:44 ID:pTH4Kxz4
この板にははじめてきます。ずっと疑問に思ってきたことがあります。
私は西日本の沿岸小都市のうまれです。
海側の二つの川にはさまれた土地に真宗の寺を中心にその方々は住んでおられました。
同級生にもその方々はたくさんいました。
特徴がありました、外見が違うのです。どうみてもニグロ系、アラブ系としか見えない方ばかりのなかに少数の鼻筋の通った国籍不明のまばゆいばかりの美男美女がいました。
私の友人だったE君もそうでした、彼はとても頭がよく国立大卒後、他県の第二地銀に入行してからは交友がありません。
自分なりに郷土史を調べましたが記述がほとんどありません。
矢切止夫氏の著を読んでもなぞが深まるばかりです。
民俗学的、歴史的にみても私にとって深い謎です。
なお、現在はその地区は新興住宅地として装いを変えつつあります。
どなたかの知恵を借りたいと思います、よろしくお願いします。




297 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/17 22:00 ID:0Ff2EzwH
県名くらい出しても、削除はされないと思いますが?

298 :297:02/03/17 23:06 ID:pTH4Kxz4
>>297
県名は・・・やはりはばかられます。私としてもジレンマを感じるところです。
現在わたしは郷里をはなれており、めったに帰郷できません、この件も懐かしさの想いが先にたちます。
他の地区のその方々と比べて、わが郷里のその方々はみな決して生活レベルが高いとはいえなかったですが、陽気でくったくなく何人かとともに遊び、家にもおじゃまさせてもらいました。
おしゃれで、原色の服を好み、それがよく似合ってました。
私自身、決して不快な印象はありません。
何かのヒントだけでも欲しいのです。後は自分で調べる心積もりです。
時間が取れたら、その真宗の住職にでも直接伺ってみようかとも考えております。

299 :デバガメ:02/03/18 01:15 ID:dcBHpq5Z
>292
珍味はあの人でしょ

300 : :02/03/18 06:09 ID:Ed8hac9O
珍味=スターリン=松本ですね
早く帰っておいでよ
また遊んであげるよ

301 :デバガメ:02/03/18 19:09 ID:dcBHpq5Z
>300
おー!!
やはりそうですか。
彼はまた迷惑かけてましたか?
不用意な差別発言が少なくなったので成長&調教したかいがあったと
安心していたが。
立場が悪くなると姿を消してハンドルを変えて現れるのは変わってま
せんね。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/18 19:50 ID:JTNpQvTt
>>300
そうだったの?
最低のにんげんだと思ったけど。
もコスのほうがましだと思うくらいに。

303 :デバガメ:02/03/19 03:33 ID:wTdDtIxv
>302
もコスに絡みまくる粘着ぶりには定評ある
その博学ぶりから信者も多いが、知識が総て的発想の厨房

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/19 15:48 ID:MsPiCOAb
はあ?松本が博学?
あれは博学とは言わないぞ

305 :デバガメ:02/03/19 19:03 ID:wTdDtIxv
じゃなんと言う?

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/19 23:52 ID:t3e+AeaU
あげとこ

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/20 00:40 ID:qlaWa2y3
なんかここを見てるとやたら美人が多いとか、マムコのしまりが良いとか見るんですけど。
人間として、人種的に発達しているのは部落民なのですか?
部落民は人種が違うの?

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/20 01:00 ID:spVaJkXc
>>307
悪魔でも個人的意見ですが事実です。ただしK系です。
EとかH等のBではありません。
八頭身の人を見たことがありますか?
Kの人には存在します。純日本人では私はお目にかかったことなし。
八頭身の人は頭が小さい、つまり穴も、、、、、でやんす。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/20 01:07 ID:qlaWa2y3
なるほど。それでか。部落民はKの血を強く引き継いでいると言うこと?なぜ?


310 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/20 11:17 ID:lBU9JqX1
>>305
他人を罵倒するのが大好きなくせに、論破されると行方をくらますような
人は、少なくとも博学とは言わない

311 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/20 11:48 ID:jcxsZL8L
>>309
部落民はKの血を強く引き継いでいるとは限りませんYO
K部落は当然Kの血ですが、他にE・H・Tとありますから
これらはKでないでしょ

312 :デバガメ:02/03/20 20:07 ID:JRngNPT9
>>310
博学の意味はあくまでも「学問的知識が高く、人の知らないことを詳しく知ってい
る」だから、たとえ人間的に卑怯な彼を「博学」と言ってもいいわけよ。

313 :松本治一郎:02/03/20 23:17 ID:ymboC7wI
お前らは転勤がなくて羨ましいよ。

314 :松本治一郎:02/03/20 23:19 ID:ymboC7wI
2 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/01/11 08:52 ID:GiRPi4sB
とりあえず、松本氏が主張する俘囚説に対する私の疑問を
前スレからコピペしておきます

945 名前:じゅうべい 投稿日:02/01/10 13:06 ID:Te78l0Cw
@古代の俘囚から中世の「非人」などへの移行が不明な点が多い

俘囚の中にも「俘囚田」を与えられて農耕に従事するものもいたはず
それがそのまま「非人」などに結び付くのかが疑問である

A中世の多彩な「職人」の活動が説明できない

『七十一番歌合』などを見ればわかるように、中世に社会的に賎視されて
いたと考えられる「職人」は多岐にわたっている
その起源を俘囚だけに求めることができるのかは疑問である

B肉食の「ケガレ」はそれほど忌避されていなかった

延喜式での触穢規定では人の死の「ケガレ」が30日、産の「ケガレ」が
7日であるのに対し、肉食の「ケガレ」は3日と短い
このことから肉食の「ケガレ」だけで説明できるかは疑問である

これらの点から俘囚説に対しては疑問を感じています

意味のない書き込みがほとんどだからここから始めるが
基本的に時間がないので前ほどは登場できないことは了解してほしい


315 :松本治一郎:02/03/20 23:27 ID:ymboC7wI
>@古代の俘囚から中世の「非人」などへの移行が不明な点が多い
これは穢多に繋がるもののため基本的に論外

>俘囚の中にも「俘囚田」を与えられて農耕に従事するものもいたはず
それがそのまま「非人」などに結び付くのかが疑問である

常識的な判断がつけばわかると思うが俘囚田が
完成した田んぼである可能性は極めて低い
要するに強制連行してきた蝦夷に更地を与えたにすぎないわけ
江戸時代に伊達政宗が異封された土地ですら荒れ地がほとんどだったわけだから
あの時代に苦労して作った田んぼを異民族に大量に渡す余裕があるわけがない。

>A中世の多彩な「職人」の活動が説明できない
説明済み
要するに賎民がやる仕事が卑しいとされたのであって
卑しい仕事を賎民がしたという流れではない。

本のまる写しではなく考えるという事をしてほしいものだね


316 :デバガメ:02/03/21 01:52 ID:Lb9r6FVI
>本のまる写しではなく考えるという事をしてほしいものだね

わかるよその気持ち
お前も失敗を繰り返して成長してきたからな
転勤?いいじゃないか、栄転?左遷?
新天地に忌み嫌うBが居なければそれでよし
いてもまた不必要に罵倒できるネタが増えるだけだから
ますます自分の世界に没頭てきるってもんだ


317 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/21 11:08 ID:r0UrptKC
松本閣下のご無事は何よりです。
これからも切れ味鋭いトークをよろしくお願いいたします。m(__)m

318 :じゅうべい:02/03/21 15:26 ID:HXjKn83D
>>315
@を「古代の俘囚から中世の「穢多」への移行が不明な点が多い」に
訂正した上で、これを説明できる史料の提示をお願いします

「穢多」の起源を俘囚に求めた文献の初出は、享保10年(1717)の
『泰山集』に「穢多蓋蝦夷民也、人皇紀多有分処蝦夷於諸国之事、此
蓋其子孫也、略訓蝦夷民曰穢多歟」とあるものだといわれています
この時期は、新井白石が享保5年(1720)に『蝦夷志』を書くなど、北
方への関心が高まっていた時期だといわれていますので、「穢多蓋蝦
夷民也」とするような説が登場したのも、それと関係があるのではない
かとは思います

しかし、それ以前には「穢多」と「蝦夷」の両者の関係に触れている文献
は見つかっていないようですし、俘囚説は実証性に乏しいといわざるを
えないのではないでしょうか

319 :百済:02/03/21 18:20 ID:ykORzPy2
ちょっと読書しただけなので、無学なところは許してください。

私は勢州のアノツ史を読んでいて思ったのですが、室町時代-戦国時代の
人口ってどのくらいなんでしょうか? 例えば、アノツでは1500代当時で
2000人くらいでした。アノツではクボタ遺跡でも分かるように国ガだった
のに、酷く人口が少ない(地震があったとしても) 住民の殆どは戦や
災害で家系を繋いでいくなどということは稀ではなかったのかな?と推理
しました。現在の人口比で勘定すると、2000人なら、50人位が賎民という
ことになりますよね? 最後に織田軍が攻めてきますが、これに抗した兵
器や戦の始末をするとなると、間に合うのかな?と率直に思います。結局
アノツ城を信長は落とせなかったので、弟を養子に出す始末。珍しい信長
の失策談です。
と同様に、歴史というものはコレはこれ、アレはあれ、というふうに線引
きできないと思える経緯が多すぎます。前九年の役でも、そうですが、
エミシを制した大伴氏がエミシに同化し、反対に俘囚となっていたことも
あったし。毒は毒をもって制す というのなら、ますます困難でしょうし。
「穢多」の起源を俘囚に求める=明治政府の「穢多」の起源を朝鮮人に、
というような風聞に似ていると思いますが(あくまでも風聞ですからネ)

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/22 10:43 ID:BlFTOWUF
>>315
あんたアホか
どんな荒地であれ、俘囚が農耕を行っていたという時点で、あんたの
俘囚説の根拠(俘囚には皮革加工しか生きる道がなかった、って奴ね)が
あっさりと崩れているんだよ

それぐらいのことは「常識的な判断がつけばわかると思う」けどね

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/22 22:47 ID:78A9S3Ab
「八の民」ってなに?

322 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/23 01:47 ID:Anx6NI3U
ガイシュツダッタラスイマソン。
弥次さん喜多さんは「八」と「四」はなかよくしましょうと啓蒙する話?
八=弥次→海洋渡来系の南方民族(天の朝系)→車善七
四=北=喜多→騎馬民族系→弾左衛門


323 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/23 03:01 ID:Lg6rJv+7
>320
たんぼを与えたからといって農業をやったとは限らないよ。
荒れ地なら尚更だよね。荒れ地でなく河原だったらそのまま部落になるよ

324 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/23 03:09 ID:e00aJjtA
ここで未だに「俘囚説」取り上げてはしゃいでるやつって、
日本史板で放置・排除された厨房じゃないの?

「ソース・文献名明示せよ」
・・・この一言で厨房はすぐ逃亡(藁。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/23 03:14 ID:0qi6lmNT
部落とは、江戸以前からの集落で、閉鎖的生活をしていたために
遺伝病が累積した。
当時もちろん遺伝学は知られていなかったので部落民との交雑により
奇形児や死産、その他遺伝病が明らかに多発した事実を、
「部落民は『血が穢れているからだ』」と人々は考えるようになった。
ユダヤ人よろしく、部落民の出来る職業はこの時点で制限され、
「穢れた」と考えられる肉解体・革製品加工などを主に与えられた。

その後、徳川幕府時代に「穢多」として身分制の中で位置付けられ、
相変わらず隔離・遺伝病多発がおきた。

この劣性遺伝病多発は科学的事実である。
そして、これは明治維新後にも続いたが、
「部落解放運動」全般は、この事実の正確な部分を
あらゆる場所から消し去り、対策法まで作らせた。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/23 03:16 ID:0qi6lmNT
圧力を加えて教育の場からこれを想像する事実を消し去ることにまで手を染めた。
若い世代がこれを知らないのは、
「進化論の教育を禁じたキリスト原理主義下の子供達」が進化論を知らないのと同じ理由によ
る。
これを、連中は「同和教育」と呼んでいる。

まず、遺伝学の一部を故意に教えなくする。
そして、「優生思想」というのがあったとし、
「それはヒトラーの虐殺に繋がる」と思い込ませるような
教科書記載事実の選択をする。

結果、遺伝学と第二次大戦下のドイツで何があったかに
ついてよくわからない日本人が量産され、
「部落差別なんて、身分制度のなごりのむちゃくちゃなバカだよ」
と言い合うことになる。

これ以外の意見は、出版・報道から圧力で排除されてきて、
「妄説」と見られがちだが、真実を知っているものは結婚前に
出身地調査をした。


遺伝的危険性を避ける権利は誰にでもあり、
防衛である。
出自を部落民自ら明らかにし、それでも結婚してくれるかと問うべきである。
そうでなければ、エイズ感染を知りつつそれを隠して結婚する外道と
全く同じであり、排除せざるを得ない。


真実を隠蔽し、情報操作と偏向教育と強迫・強要をすることを
断じて許してはならない!


327 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/23 03:16 ID:0qi6lmNT
-------------
那須麻千子,1998,
「 "命"を選別する出生前診断」,大阪部落解放研究所(編),『部落解放』,439,p.110-117.


矢野恵子,1997,[未収集]
「シリ-ズ先端医療と人権 2 完璧な人間のみ追及するあり方を問う・出生前診断の是非」,部落解
放研究所(編),『ヒュ-マンライツ 』,114,p.46-53.
-------------

・特殊部落は全国的には,小は4世帯未満の地区から大は300世帯以上の地区まであるが,十数
世帯〜100世帯未満というのが圧倒的に多い

・1965年の近畿地方の大都市の調査によると,当該都市の平均値に比して被差別部落の場合は
平均寿命が約4年短いという結果がみられ,新生児・乳児の死亡率が高く,また,死産率を見ても
〈自然死産率〉〈人口死産率〉ともに〈一般〉よりも高かった

・近畿地方の特殊部落における1977年の身体障害者調査の一例によれば,身体障害者のうち最
高率(44.6%)を示す〈肢体不自由〉以外の障害では〈視覚障害〉がきわだった高率(34.4%)を示
している

・散所においては地子物(年貢)を免除される代りに住民の人身的隷属が強いられた

・各地の戦国大名は競って熟練工の確保に努め,彼らに特権(職業と販路の独占)を付与すること
と引替えに,城下町の周縁地域に緊縛して身分・職業・居住地ともに一般民と隔離する政策をとっ


〈まるでほかの人たちと交際するに価しない不浄な人たちのように,いつでも村落から離れて住
んでいた〉

この方針は江戸時代にも堅持され,〈かわた〉は〈えた〉の別称にもなった


328 :死に関しては「黒不浄」、血に関しては「赤不浄」:02/03/23 05:28 ID:Mb4bCHJS
部落の歴史= その原因は、6世紀に朝鮮半島の百済から伝来された仏教によるところが非常に大きい
といわれている。仏教による「殺生禁止」の思想と、これも古代中国から伝わった陰陽道(オンミョウドウ)
という呪術の「禁忌・触穢」思想とあいまって、ケガレ観が強化された。その結果、日常的に「ケガレ」に
接している人を差別するようになったと言われる。日常的に「ケガレ」に接している人とは、人間や家畜等の
死体に接している人、出血・出産する人のことで、死に関しては「黒不浄」、血に関しては「赤不浄」とよんで、忌避・差別した。
 このように仏教は、差別を生み出し、助長・拡大する大きな役割を持ち、民衆の間に広まっていきった。この影響は現在も続き、
その顕著なものとして差別戒名、「えた寺」ばかりをまとめた「部落組」という末寺組織として、
つい最近まで残っていた。しかし、宗教界は部落解放同盟の指摘によってこれを悔い改め、差別の撤廃につとめる。陰陽道については、
「大安・仏滅」等の六曜として現在も根強く残り、迷信など根拠のないいわれの一つとして、差別意識を支える土壌としての役割がある。


329 :百済:02/03/23 06:36 ID:ECVIbgv0
>八=弥次→海洋渡来系の南方民族(天の朝系)→車善七
>四=北=喜多→騎馬民族系→弾左衛門

では、お陰参りは苦界の民衆の無銭の旅ですか?
民衆の多くは、八と四だったわけになるから、残る人たちは何ですかs?
「ええじゃないか」というのは維新へのプロパガンダだったのでしょうか?
八は赤、四は白。未だに紅白が好きな国民ですね、日本って。
だけど、日ノ本の国という意味からすると、日本の色は赤ですね。火、太陽
を意味する。伊勢神宮は平家系なんでしょうか?すると平将門は八の民?
帝都に呪いをかけたわけだけど、その頃の江戸って湿地だし、丸の内は
小島か海だったような気がする。
将門=エミシなんでしょうか?
田村麻呂はササンペルシャ辺りの赤毛の大男だったようだから。
そうすると、帰化人がエミシを討ったのか? そういうのでしたら、
将門の怨恨も理解できるわね。わたし、滅茶苦茶言ってるのかな?



330 :百済:02/03/23 06:37 ID:ECVIbgv0
さらに、日本の色が赤ならば、血の色の赤を疎むのはおかしい。
むしろ生命の息吹、活力としてのエネルギーの象徴ではないのか?


331 :百済:02/03/23 07:26 ID:xfjC1cPP
聖徳太子が仏教を受け入れて、「和をもって尊す」と憲法で叫んだ時点で
日本(その頃は、日本という名称ではなかった)はカオスに陥ったとか
思ったりしました。

・・・イメージとしての源平のコスタリカ方式は続いているのでしょうか?
しかし、革命短期政権は平氏、安泰長期政権は源氏。
源平の統一を謀ったのが維新なのでしょうか?



332 : :02/03/23 07:41 ID:Mb4bCHJS
>>329
なにも「赤色」を嫌悪したわけではない
日本文化には「赤色」をめでたいと評価する面もある。

陰陽道の赤不浄とは、出血のことを示すものと思われる

また、陰陽道の黒不浄が、死を示しているのであって、
「黒色」自体が、忌避の対象となったのではなく、「死」が忌避の対象であった
ということではないだろうか?

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/23 13:00 ID:kT78JkGc
>>323
たんぼで農業以外にどんなことをするんですか?
荒地であったとしても、たんぼなんだから、農業しかないと思うんですけど?

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/23 13:05 ID:TEMx6kde
最近、百済の妄想がますます酷くなったようだ。
きっと生理にちがいない。


335 :農家:02/03/23 15:47 ID:PtxZXqu9
>333
思うんだけど農作業をやった事のない人にたんぼなんてできないと思うよ。
一からたんぼを作って稲を植えて収穫まで何年かかると思う ?
むりだと思うよ。

336 :農家:02/03/23 15:49 ID:PtxZXqu9
荒れ地というのはたんぼの事ではなくて手の付けてない土地のこと
石やら砂を取り除くだけで何年もかかるよ。

337 :サラリーマン:02/03/23 20:01 ID:hO5g8Ohf
>>336
だから何年もかかってやったんじゃないの?
ケースバイケースだと思うよ。
北海道のアイヌみたいにできなかったケースも
あるけど、あれは北海道だからだよ。
アイヌは北海道でそこの土地にあった生活をしてたのに
無理やり農業やらされたから駄目だった。
でも気候のいい西日本で農業させたら、まあ一年目は駄目
二代目からはちゃんと農業できるようになっても不思議でないよ。
農業が大変だってのはわかるけど、素人には逆立ちしてもできない
ってのは農家の思い上がりじゃないかな?
もっとも現代と中世とは状況が違うからなんともいえないけどね。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/23 22:03 ID:Np3Mudm5
エミシ、蝦夷民、アイヌ民 の違いを教えてたも。

339 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/23 22:47 ID:G6dP84WR
ガイシュツデスガ
蝦はエビ(海老)のことであり、エビは長いヒゲをもち腰の曲った醜いものとみなし、夷は造語で弓を操る人で
長いヒゲの狩人。蝦夷は「醜い野蛮人」の意となり、国家が東北住民に対し、憎しみをこめて与えた蔑称だ
とする解釈が幅をきかせている。

日本には海岸に流れついた奇妙なものを神としてまつる習慣がある。
そうゆうものはエビスと呼ばれた。
夷と書いて見知らぬ土地の見知らぬものを表わす概念。
アイヌを蝦夷(エゾ)と書いたのも当て字ですが、エゾの意味は?


340 :アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/23 23:49 ID:jqdjAYdZ
えみしはえぞの呼称と広辞苑に書いてあった。これでは、何なんで。
最近の研究者の情報が知りたいものだが・・・すでに書いてあったかもしれんが、
外国人の研究者がアイヌの人々はコーカソイドと確信したくらい白人と風貌が似ていた。
現在はモンゴロイドの一種と思われているとかなんとか。ある文献に、
七世紀ごろ越の辺境の蝦夷数千が内付してきた。畿内政権もこれを饗応したとある。
言葉も風習も違うとはいえ、風貌はアイヌほどかけ離れてはいないと思われる。
中国人もその天才ぶりにびっくりした弘法大師・空海は、蝦夷の子どもだったとか。
同じく、誰か教えて。

341 :アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/23 23:53 ID:jqdjAYdZ
呼称×
古称○

342 :松本治一郎:02/03/23 23:55 ID:f6dCquP7
そういう意味ではなくて
元々狩や採集で生活してきた人たちだから食べ物自体が元々違うわけでしょ
だからたんぼで米を作る。その米が食べ物になるという事自体が理解できないわけだよ
それに親兄弟なんかを殺されて、強制移動させられている内に仲間の何人かも死ぬ
言葉も通じないわけだから意思疎通もうまくいかないだろうし
少なくとも彼等は怨みを抱いているはずたよ。
そんな局限状態の中で誰が農業を教えるわけ ?
例をあげれば日本人がアフリカかどこかの狩猟系の民族と戦をして
彼等の家族を殺し、日本につれて来て一から農業を教えて
そこから年貢を取るという行為なんだよ

この時期とほぼ時を同じくして河原に人や牛、馬の皮をはぐ、
いわゆる後に河原者と呼ばれる集団が登場する。
弥生人は織り物の着物で縄文人は動物の皮を着ていた
という条件を加味してかんがえれば
いわゆる縄文人であった蝦夷がそのルーツであると考えるのが自然だと思う。
彼等は元々、肉を食い、皮をなめして着ていたと
教科書にも書いてあるわけだからね
要するに農業をやらずに逃げ出した蝦夷が河原者のルーツだという事。
元々は農家だった者は皮をあつかう技術がない。
教えてもらおうにも言葉が通じない。
だから彼等はこじきなどの非人となったというわけだよ。
また江戸時代以前なら自由に農家に戻れたわけだしね。
異論はあろうが、考え方としてはいたって自然だと思う。
蝦夷の連中だって米よりも肉を食いたかったはずだしね。

343 :アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/24 00:08 ID:TZAeozL3
>>342
一理あるような、強引なような。わからん・・・
関係ないけど、四国で縄文人の戦闘の形跡のある人骨がでました。反対論もあるが。
縄文と弥生は、現在の通説がひっくり返るようなことがわかるかも。

344 :松本治一郎:02/03/24 00:16 ID:WKXedc6N
>343
俺の書いていることは詳しく書くと必ず避難を受ける事だから
誰も書かないんだよ。
要するに河原者は死肉を食って生きていたわけだから
その点だけでも書けば◯チガイ扱い間違いなしだからね。
無論それを現在のBに結び付ければ人権団体も黙っていない。
出版すれば間違いなく糾弾だろうね。
だから前後の歴史を説明するために蝦夷と弥生は完全に同化した
としているわけ
だったらオーストラリアの原住民やアメリカの黒や人インディアンも
完全に同化しなきゃおかしいと思うんだけどね。
どんな民族でも必ず民族の誇りのようなものがある。
特に戦に負けた方には強いだろう
だから完全な同化は難しいと思うね。


345 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 00:20 ID:tNzITaOs
>>87 カコイイ!

346 :アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/24 00:25 ID:TZAeozL3
>>344
>だったらオーストラリアの原住民やアメリカの黒や人インディアンも
なんか、ここは飛躍しすぎのようなきがしますが・・・おもしろいこといいますね。
反対者がぐぅの音もでないくらいの証拠が見つかればいいのですがね。
もう、わけわかんないしな。昔の事なんて。



347 :百済:02/03/24 00:59 ID:RETcEPDi
個人的には縄文人=原住民=アイヌ=蝦夷=エミシ=被差別民(サンカ)
というのが分かりやすいが、容貌で考えると、反対に思える。
私はアイヌ人が好きだから。ごめん、ちゃちゃ入れて。
サンカと混同しやすい。
東北人って素敵だと思うけど。個人的にはそう思うけど。

348 :アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/24 01:24 ID:TZAeozL3
ついでに。ちょっと外れるけど。
縄文人については、氷河期に樺太経由の東縄文人と中国方面からの西縄文人に
DNA的に分かれると思うのが自論です。東の縄文人の方が動きが活発だった
とはおもうけども・・・弥生時代にどの程度の渡来人が来たかはわからんが、
西の縄文人はすぐに感化されて、ともに今の畿内を中心とした西日本を形成したと想像
している。DNAが縄文の時代から東西で傾向が違うというのをいいたいだけだが。
よく、大陸・半島の人と西日本の人のDNAが一致するというが、
全部が全部、渡来人ではないだろうというのを強調したいというか・・・
よく、関西人=朝鮮人という書き込みする奴がいるので。
話を戻すと、西に移動していた東の縄文人の末裔のみが、いわゆるそうなったとか。



349 :アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/24 02:09 ID:TZAeozL3
ついでに。更に話を膨らますと。
東の縄文人は大型の動物を追っかけていただけあって屈強で狩りがうまかった。
それに比べて西の縄文人は小動物などを追っかけていたので狩りもそこそこ。
東の縄文人は「そこさ、どいてけろ!」と西にきては西縄文人を馬鹿にしていた。
ある日、渡来人が稲作しているのをみて、「これや!」と思い、西の縄文人に
一気に広まった。今度は西の縄文人、いや弥生人となって「そこどかんかい!」
と、東の縄文人をおいやるようになったとさ。おやすみなさい。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 07:49 ID:u74eudHj
>>342
>元々狩や採集で生活してきた人たちだから食べ物自体が元々違うわけでしょ
>だからたんぼで米を作る。その米が食べ物になるという事自体が理解できないわけだよ

あんたってばどうしようもないアホだな
そこまで言うんだったら、蝦夷が肉だけしか食べていなかったという
根拠を出してみろよ
東北地方で縄文時代に農耕が行われていたことを示す考古学的な
発掘だってあるだろうが

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 09:58 ID:gT9e7S0Y
>>350
ほんとだね。
知識のなさはしょうがないにしろ
きつい思い込みはちょっと。。。
まあ他人に害を与えないていどにしてほしいよね。>342には

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 10:49 ID:OPytYvVM
ワラタ。知識のなさを指摘するわりに具体的な反論が一切がなく、個人攻撃してるだけじゃん。
抑えきれない気持ちだけしか言い表すことができないなら、黙って方がまだましだ。
だって、みっともないよ。

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 18:29 ID:LGNla9vE
・二重カキコや連続投稿に引っかかる
・1024バイトより大きい書き込み
・(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)が出る改行が多い書き込み
・電話番号書き込み(ひろゆきにログを添えてメールがいく)
・スレッド立てたとき(立てすぎですとは別のログ)
・BBS_SLIP=checkedのときは無条件で
・その他個別の罠に引っかかるとき 例:「別れさせ屋」

これ以外の普通の書き込みは連続投稿規制用に一時的に一部を伏せた
ものを記録していますが一定書き込み後にサーバから完全に消えます

2ちゃんねるは自衛(荒らし防御)のためにしかIPを記録していませんでした。


354 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 18:40 ID:oMNOgHOi
狩猟、採集と書いるわけだから誰も肉しか食べていないとは書いてない。
少なくとも縄文人の大部分が米を作っていなかったのは小学生でも知っている事実だし
東北で米が採れるようになったのは寒さに強い改良品種が出来たため
全く読んでいて馬鹿馬鹿しくなる。


355 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/24 18:48 ID:oMNOgHOi
>350,351
世界的な常識を覆すのは君たちにはちょっと難しいと思うよ。
おまけに最低限の教育だけしか受けてなくても分る事だからね。
もしかして君たちは小学校をドロップアウトしたのかな?

356 :デバガメ:02/03/25 02:33 ID:hKEaB8sb
などなど松本氏の援護がありますが
表現力不足で突っ込まれて悔しいときなど”不思議なことに”必ず名無し書き込みで援護があります。
これは総て松本氏本人の自作なので反論者のみなさんは暖かくこの人を見守ってください。
みんなも面前で失敗したときとか恥ずかしくて素直になれないときがあったでしょ?
勘違いされるような文章を書く方が悪いわけで、柔らかく言えばいいのにムキになってしまうのは、ま
だ厨房のあどけなさが残っているからなんです。
嘘?と思う人も多いかもしれないが過去ログ持っている人は確かめてもらうとわかります。
そういえばスタ◯リンや◯味も同様のことがありました。
「自分とは関係ないこんなクソ2人と一緒にされるのは心外だ」なんて松本氏は怒りそうですね。


357 :デバガメ:02/03/25 02:53 ID:hKEaB8sb
ちょうどいい文章例がありました。
>>354
文頭「狩猟、採集と書いるわけだから誰も肉しか食べていないとは書いてない。」
文末「全く読んでいて馬鹿馬鹿しくなる。」
こんなフレーズです。



358 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/25 11:17 ID:9gY5dkUc
>>342
>元々狩や採集で生活してきた人たちだから食べ物自体が元々違うわけでしょ
>だからたんぼで米を作る。その米が食べ物になるという事自体が理解できないわけだよ

あんたってば本当にアホだな
俘囚に対しては俘囚料として米が支給されていたんだし、米が食物に
なることぐらいは知っていたはずだぜ
その中で、米に対する志向があったとしても不思議でjはないぞ

359 :352:02/03/25 11:56 ID:QSbFg3re
>>356
ぼくは少なくても松本先生じゃないよ。
と言っても、証明はできないんだが。

まあ客観的に考えても、みっともないのは、おたくの方。
個人攻撃だけで、中身がまったくないじゃん。

360 :教えてください:02/03/25 12:34 ID:dpFotAbU
325>>
その遺伝病というのは、現代で当てはめたらなんという病気でしょうか?
狂牛病でしょうか?
それとも予防接種が無い時代だったので蚊が媒介する日本脳炎などでしょうか?

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/25 17:40 ID:bhW8eOL4
>デバガメ
君は邪魔

362 : :02/03/25 20:53 ID:WHqv8MpC
閣下復活ですか・・・
でも、閣下の文体に尊大さと明確さが欠けますね。

>異論はあろうが、考え方としてはいたって自然だと思う。
このような弱気な発言は似合いませんよ。

閣下本物ですか?

363 :じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w :02/03/25 22:07 ID:+nq5Ws03
最初、復活してきた時から何かが違うと思ったがやはり偽者か。
松本にしては誤植が多いと思ったよ。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/25 22:17 ID:YU7xohvD
松本さん、勢州にも来ておくれ。

365 :教えてください :02/03/26 10:38 ID:3xwR0MOU
325さん>>
その遺伝病というのは、現代で当てはめたらなんという病気でしょうか?
狂牛病でしょうか?
それとも予防接種が無い時代だったので蚊が媒介する日本脳炎などでしょうか?




366 :じゅうべい:02/03/26 12:17 ID:XSyPMxmj
>>315
「賎民がやる仕事が卑しいとされた」とありますが、「賎民」と「賎業」の関係が
それほど単純なものであったとは思えません
例えば、「筬」(おさ、縦糸を通して機を織る道具)をめぐる次のような争論を挙
げることができます

宝暦4年(1754)に京都の西陣で「筬屋」を営む紐屋平兵衛宅の普請を、かね
てからの得意であった嘉兵衛という大工に断られたことがきっかけとなって、争
論が起こりました
その争論において、大工仲間が「我等仲間申合にて以後筬商売の方へえは作
事に不参候旨申候事」としたことに対し、西陣筬屋仲間から「下京壱貫町」に住
む「番非人之者拵候由、此のものをおさかきと申伝候」と混同しているようだが、
「自元我々の内筋悪敷ものは壱人も無之」く、「少も卑劣なる細工筋にては無之
処」であると反論しています

京都町奉行所が大工頭の中井家(機内5ヶ国と近江の大工を統制していた)に問
い合わせに対し、「おさかきには大工共遣し不申候、西陣筬屋中えは大工遣し可
申候」と答えたことにより、「筬屋」が勝訴することになりました

367 :じゅうべい:02/03/26 12:24 ID:XSyPMxmj
このように、「賎業」だと認識されていた同じ職業をしているにも関らず、「賎民」で
あるとされた「筬掻」と、「賎民」ではないとされた「筬屋」の違いはどこにあったの
でしょうか

「筬掻」が「番非人」であるとされているのに対し、「筬屋」は町人であったことから、
制度的な身分の違いが影響をしていたのではないでしょうか

368 :kopippe:02/03/26 14:17 ID:+GXfygq5
エミシ→産鉄・「俘囚」鍛冶関連でなんか接点ないかなと思っています。
鍛冶集団がいた事で知られる地域の近くには、隼人地名がよく残ってい
るようです。それは、穴師兵主や八幡社配置と重なってるみたいに思い
ます。うろ覚えですが、中部地域辺り等の産鉄地域周辺にも俘囚配置が
なされていたようです。

369 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/26 18:52 ID:nG/ieD6S
ヤマトタケルの伝承地をずっと周って思うことは、神社は川沿いに有る。
近くにB地区が有る。物部氏の影がチラチラと見え隠れする。(鉄を扱う部族?)
縄文人(蝦夷)は物部氏と合流し山間部に追いやられる。
東海地区でゆうと土岐あたり・・・。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/26 20:55 ID:lBaVoM/9
本当に知りたかったら、まず本を読め。
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/42970751

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/26 21:20 ID:zlU4OBJQ
部落の起源が蝦夷だとしたら、なぜ彼らはその起源を維持できなかった
のだろうか?差別され抑圧されても逆に自分たちの誇りも持ちつづけている
はず。ユダヤ人はずっとユダヤ人だしアメリカインディアンはずっとアメリカインディアン
でありつづけている。しかし、部落民は自分たちの先祖を特定できないのはなぜか?
先祖が蝦夷であることを誇りにできないのか?
なぜなら彼らの先祖は蝦夷とは関係ないからである。
異民族説はロマンはあるがちと電波なにおいがする。

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/26 21:38 ID:OthnrP6I
現在でもすき間産業には外国人が入り込むから
必ずしも異民族説的な指摘は十分可能性のある話だと思うが?
弾家を見ると、マイノリティーをまとめあげた実力者のような気がする。
ヤフゥの社長なんかは、かなり面倒見が良いからな。

373 :百済:02/03/26 22:11 ID:NBzCoCte
>縄文人(蝦夷)は物部氏と合流し山間部に追いやられる。

鈴鹿山麓。

374 :百済:02/03/27 00:15 ID:0h2pbCs5
起源を説いているのを読んでいると、なんだか、被差別民というのが
時代的刹那に規定されていたような気がしてならない。
もしくは既得権益があったとか。
問題の要点は、その他の圧力団体に比べると非常にナイーブな問題だ
ということを国民が共通観念で思ってしまっている?ような土壌を
作った側の責任が問われる。
起源説で、例えば29種の職業と示された者も、それが失効する過程で
それなりに励行したはずなのだから、今一度現代の被差別民について
自己分析を行ってほしい。
私は基本的に異様な差別書き込みは嫌いである。それは、そういう風土
に居た、という自己の分析に他ならない。例えば、学生時代に、
「君、生理?」と尋ねられたとき、言いようの無い恥じを覚えたのと
似ている。今は中年なので、何とも思わないが。いや、そういう言葉に
は抵抗がある。
恥じ=土師、という変換にもあるように、土師師は鋳物・木地の総称で
あったが、ここに来るまで知らなかった。そういうことと、
「君、生理?」というのでは、言葉のもつ魔力が違う。
そう思うだけですねー、今日この頃。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/27 13:14 ID:dFnB0DrZ
>>368
江戸時代のアイヌは製鉄技術を持っていなかったそうですので、蝦夷と製鉄が
関係があったのでしょうか
確かに平泉の辺りは製鉄が盛んで、それが藤原氏の繁栄を支えていたりはする
のですが、中央からもたらされた技術だったのでは、と思うのですが…

376 :百済 ◆OXLav4ic :02/03/27 14:24 ID:dUt8oN+w
>368
隼人地名って何ですか?

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/27 19:09 ID:7ko0CTyW
鍛冶屋の息子とケンカしたらダメだよ。
祟られちゃうから。

378 :匝瑳郡民:02/03/27 20:09 ID:AQLUUAoj
大友皇子落去伝説
------------------
 古代最大の内乱・壬申の乱に敗れた大友皇子(弘文天皇)は近江の都で自害
しました。しかし、上総には大友皇子が落ちのびたという伝説があります。近
江で死んだのは実は影武者で、大友皇子は近江を脱出、海路上総に到着したと
いうものです。
 小櫃駅と俵田駅のほぼ中間、君津市郊外の県道に近い小高い丘の上に田原神
社の山門が見えます。大友皇子の霊を祀る神社と伝えられ、天武14年(685年)
に朝廷の命で建立されたものだと言い、別名、白山神社とも言います。
 小櫃川流域には壬申山、田原御所跡という旧跡の名があり、小櫃川を越えた
木更津の矢那地区には「鎌足」という集落があり、中臣鎌足が育った里と言い
伝えられています。大友皇子の父・天智天皇は鎌足と力を合わせ大化の改新を
行っており、鎌足の娘・耳面(みみもの)は大友皇子の愛人としても知られてお
ります。
 大友皇子は耳面とともに近江から落ちのび、地元の豪族らと共に新しい王土
建設を目指しました。しかし天武天皇の征討軍がこの地まで到来し、大友皇子
は小櫃川支流の御腹川の河原で自害したといいます。もちろん「御腹」川の名
は、大友皇子の自害によりついた名前と思われます。
 憤死した大友皇子の霊を鎮めるため、天武側が田原神社を建てたと言われて
います。神社の背後にある前方後円墳は馬来田国造のものですが、その裏側に
隠れるように小円噴があります。大友皇子の墓とされ、海獣葡萄鏡、直刀、勾
玉の三種の神器を思わせる遺物が発掘されています。
 耳面とその側近は船で外洋に逃れ、九十九里浜の野手浜(旭市)に上陸し、
そこで土地を開拓し、現地で亡くなったと言い伝えられています。現在でも内
裏塚と供養碑があります。
 また、中野から養老渓谷の方へ入った筒森部落にも別の大友皇子落去伝説が
あります。妃をともなって都を落ち、この地にやって来た大友皇子一行が筒森
にやって来た際、十市王妃が産気づき、流産したあげく亡くなったといいます。
村人がこれをいたんで小さな祠を建て、妃の霊を祀ったといいます。
 その後、天慶8年(945年)に社殿を造営し、「御筒大明神」となり、明治5年、
現在地に社殿を移し筒森神社に改めました。


379 :匝瑳郡民:02/03/27 20:29 ID:a6/nVDRE
・流刑地
神亀元年(724年)、配流地が定められ、伊豆、常陸、佐渡、隠岐、土佐と
ともに安房国が遠流の地に選ばれています。
この他、中流の地に諏訪と伊予、近流の地に越前、安芸となっています。
流される者は犯罪者だけでなく、政治的敗者もいました。
この時代、現在の伊豆半島、千葉県、茨城県、佐渡島、長野県が東の遠国、
壱岐、高知県、愛媛県、広島県、福井県が西の遠国とされたのでしょう。

・防人
東国の武人の勇猛さは有名で、蘇我蝦夷、入鹿は城柵の防衛に東国の健人
(ちからひと)の守衛させたり、奈良時代の天皇側近の警衛にあたった中衛
府(ちゅうえふ)の舎人は「東舎人」と呼ばれていました。このような東国
の武人の伝統から九州に赴く防人にも利用されました。
房総からは一旦国司に部領されて難波津に集結し、海路筑紫に向かいます。
難波までの食料は自費です。日数的には、上総・下総から平安京までは上
り30日、下り15日、安房からは上り34日、下り17日となっています(『延
喜式』による)上りの方が日数が多いのは、調傭物等の租税の運搬がある
ためだと思われます。太宰府と平安京は、海路で30日。現地では兵部省防
人司の指令に従って職務に従事しましたが、近くに空閑地を与えられ、稲
や雑穀を栽培し食料としていました。


380 :匝瑳郡民:02/03/27 20:30 ID:a6/nVDRE
・蝦夷征伐
宝亀5年(774年)7月に陸奥国の蝦夷が桃生城を攻撃したのを契機に、弘仁2
年(811年)閏12月に文室綿麻呂の奏上により戦闘を収束させることが認めら
れるまで、いわゆる「三十八年戦争」がありました。阿部比羅夫の遠征な
どで大和朝廷の勢力は北進していきますが、これと同時に房総他、東国各
国は蝦夷征伐の兵力の基盤となります。
弘仁2年(811年)に蝦夷との戦争が終結すると、翌年に物部匝瑳連足継が鎮
守副将軍から将軍に昇格。この後も代々物部匝瑳氏一族が鎮守将軍になっ
ています。秋田城跡からは「上総国部領解〜」と記された木簡が出土して
います。兵を率いて秋田城に出征し、そのまま兵士を監督する任にあたっ
ていた部領使が提出したこの木簡によれば、秋田城内の重要な門の警備宿
直を上総国の兵士が担当していたことがわかります。また、房総の豪族や
民衆は、兵力だけでなく経済的にも蝦夷との戦いを支えていました。
『続日本紀』の天応2年(782年)の記事に房総3国、相模、武蔵、常陸などの
諸国に命じ、穀10万石を陸奥の軍所に送ったとあります。宝亀7年(776年)
にも安房、上総、下総、常陸4国が船50隻を購入して陸奥国に集結させてい
るので、相当数の船を所有したいる豪族がこれらの諸国にいたことになり
ます。当時、利根川の内海面が軍需物資の輸送基地でありました。


381 :匝瑳郡民:02/03/27 20:30 ID:a6/nVDRE
・蝦夷進出状況
平安時代の初めの797年、坂上田村麻呂は征夷大将軍となります。征夷大将
軍とは蝦夷を討つための臨時の将軍です。この時の官位は「征夷大将軍、
近衛権中将、陸奥出羽按察使、従四位上兼行陸奥守鎮守府将軍」です。
坂上田村麻呂は人気があり遠征に加わる希望者が多く用意した馬が足りなく
なる事もありました。蝦夷を討つために豪族の子に武芸を習わせ専門の兵と
しました。この兵を「健児(こんでい)」と言います。

・俘囚の反乱
嘉祥元年(848年)、上総の俘囚丸子(まろこ)らが反乱を起こしました。これに
対し、上総・下総等の5か国に対し征討の命令が下り、2日後には上総国が俘
囚57人を惨殺しました。
俘囚とは、服属した蝦夷のことで、現住地から切り離し弱体化させる目的で諸
国に移住させられていました。また公民として調庸を課したり、俘囚に対する
財政支出を陸奥や出羽国以外にも負担させる狙いもあったと思われます。
俘囚の反乱はこの後も各地でしばしば起こり、上総国では貞観12年(870年)に再
び事件が起こり、貞観17年には下総でも反乱が勃発、武蔵、上総、常陸、下野
などの諸国の兵士各300人を動員し下総国を支援させ俘囚を追討しています。


382 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/28 12:53 ID:sadBjPda
中央構造線沿いに水銀を求めた丹生都姫とは?
鍛冶氏族の祀る雷神の系列に連なるニギハヤヒとは?
奥州=ヒノモト説を支える安東氏とは?
銅鐸・銅鏡の製作と物部氏。白鳥伝説を持つ物部氏。
『白鳥伝説』谷川健一をもう一度読み返しています。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 20:03 ID:3+b5iIQP
じょにー(犬が西向きゃ尾は東) ◆iVSxGs0w =松本
だったら笑える。

384 :じゅうべい:02/03/30 11:39 ID:bxaXkm3e
>>342
『日本書紀』仁賢天皇6年の条に、「高麗」から「工匠」を連れて来て、「熟皮」
(おしかわ、腐熟した脳漿を用いた皮鞣の技術)が伝えられたとあります
これが事実だとすると、皮鞣の技術は渡来人によってもたらされたものであり、
それを「動物の皮を着ていた」縄文人と結び付けることができなくなります

皮革加工に関する技術史的な視点からも考えると、俘囚説は成り立たないの
ではないでしょうか

385 :デバガメ:02/03/30 17:01 ID:B3+hEqTO
>359
中身と叫べば相手は逃げてくれたんだ?
これからどんどん使っていくんだろうな(ワラ
物知りに景仰してしまうことは、中身のない人間のすることだから気にするな
松本氏がなぜ執拗に起源を研究しているのか?
こいつは自分の行う差別の正当化を証明したいだけ
歴史を探る点では郷土史研究家と共通するが、その志は最低この上ない
これでは>>374百済さんの言葉もむなしく響く
知らないことを大量に突きつけられると人間はどうしても、敗北感を受け相手に
恐怖や尊敬の念を抱いてしまう
そして相手がぼやけてしまい何を考えているのかを知ろうとしなくなる
データが飛び交う場では非常に注意しなければならない問題である
特に松本氏信者にはこの傾向が強い

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/30 20:06 ID:el9WBK5G
>>385
大した妄想野郎だな。(ワラ
そうやって自分を正当化してることに気付かない間抜け君。

387 :名無しさん:02/03/30 20:13 ID:rNrwBI7N
山窩って何?

388 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/30 20:59 ID:uy2BRQU7
富士山の裾野で72代続いた王朝があり噴火でちりぢりになり滅びます。
邪馬台国に先立つ倭国の人々と合流しヤマウドと呼んでいた。
御嶽山を信仰し一番えらい神は小名彦です。
後に倭王朝を築いた人々は自分たちはヤマトと言い、山に残った人々は
サンカと呼ぶようになった。

民族・神話学板からの受け売りやけど出来すぎかネ・・・。

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/31 12:02 ID:lxS7Tv0G
本物でも偽者でもどっちでもいいから、松本閣下にご登場願いたいので、age

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/31 13:50 ID:IKqNHE6Y
>デバガメ
あんたの書き込みが一番無意味だよ。どうでもいい話はやめとくれ
差別云々は別として、おもしろい内容なので中傷のみの書き込みは本当にやめてほしい。
少なくとも君は自分の無能さに気付くべきだと思う。

391 :百済:02/03/31 16:03 ID:C0oxm/Rf
水平社宣言を崇高だと見なすのはいいとしても、その他の運動、
例えば農民運動や無産者運動に乗じて結社した団体に思えてならない。
同和地区というのは、私が知っている限りでは失業対策が行われてい
た被災地域などであった。それは同特法施行以前の話。そのころの
小学校ではエタヒニンという言葉は教えていなかったように思う。
両親が「あの人はシャだな」とかよく言っていたが、それは身分差別
よりも水平社運動の過激さを指したものか、民俗学的に社を指したも
のかよく分からない。うちは雑誌をたくさん取っていたので、
オールロマンス事件(オール読物?)を父から教えてもらった。
当時は特殊部落という言い方。数年して母が「エタは偉い」と言って
いたが、何のことなのか分からなかった。1960年代は激しい差別糾弾も
なかったので、地区の人は家へよく来て「旦那さん、新しいテレビ買って」
とか言いにきて、父はよく買っていたし、飲み食いを多いにしていた。
「旦那とエタ」という関係があった時代はまだ40年弱前まではあったように
思えるが。これは田舎の話なので、大阪や京都とはワケが違うけど。

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/31 17:42 ID:t40+RvsC
>>391
くだらさんって父親が「このドエッタ」って言ってた人だったんだ。
そのTVの話なんかすごく前のスレで見たことある。
ちなみにオールロマンスはカストリ雑誌でオール読物とは
関係ありません。

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/31 22:38 ID:jbJ4xYLh
部落の起源が蝦夷?
まあ2chにはふさわしいレベルの「ネタ」だな。

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/31 23:23 ID:SFfQZlNv
蝦夷って嫌な感じがする文字だネ

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/01 00:12 ID:eGZgIKNz
>>394
そりゃイヤな文字を選んだからさ。
「倭人」もいっしょだね。

396 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/01 00:14 ID:crn5nCAG
使い出した当時は蔑視用語でしょ。
公文書のたぐいに初めて登場したのが曽我蝦夷とされてるらしいけど
曽我氏は蝦夷の帰化人?そんなこと書いてある歴史書見たことない。
継体天皇の系列から聖徳太子に連なるけど出自は不明・・・。

アイヌは自らアイヌといって認知される。

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/03 07:29 ID:FeWgSwS3
>>393
そんなことを言ってるは一人だけだって
「2ch」と一括りにしないでくれよ

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/03 14:17 ID:uENYwC+J
DNAで調べられるようになったら、面白いね。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/03 14:28 ID:Hj1itGPM
そうそう。遺伝子の分類はNHKで見たけど、
全国に偏在しているようだ。トンデモナイ小さな町単位くらいで
なんの地理的意味もなく、ある塊のDNAが集中しているようだ。
いくらするんだろう?
方言にしても、関西でも東北系みたいな地域もあるし。

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/03 14:29 ID:Hj1itGPM
サンエは金田一先生曰く「古代奈良語」らしい。


401 :じゅうべい:02/04/05 08:28 ID:HUDjK7KI
>>161
過去帳は檀那寺が作成するものですから、周辺の人々から「太夫」だと
認識されていたのではないでしょうか、に訂正しておきます

402 :じゅうべい:02/04/05 08:46 ID:HUDjK7KI
>>233
享保13年(1728)に作成された「冶工由緒記」によると、「抑我里日々に繁昌して
諸国へ鍋釜を運送して商売す、此国へハ全国の鍋釜相坂の関よりうちへいれず、
此邑より北ハ加賀・越前、東ハ駿河・甲斐、其外国々へ運送して商売す、此運送の
ついへ多かりけれバ、其所々立越し、鋳物師の家業することになりぬ」とあり、運送
の手間と経費を省くために、鋳物師が出店先で定住するようになっていったようです

また、「諸国へ出店せし初めハ田仲七郎右衛門、正保の比大坂へ出店して鋳物師を
せり、是当地より他国へ出し初なり、其後新潟、江戸、、諸方へ思々に出店す」とあり、
辻村から出店した35家を書き挙げていますが、その中には伊賀上野の国松三郎左
衛門、伊勢川崎の国松七郎兵衛、桑名の辻内善九郎、中山村の阿保市太夫が挙げ
られています

これらのことから考えて、近江から伊勢へと移住した鋳物師も多かったのではないか
と考えられます
(近江には他にも八日市や和邇にも鋳物師の集団がいたそうです)

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/05 18:11 ID:t4iwxzli
田中一族の歴史

深い歴史的背景はないと思われている田中姓だが、佐藤・鈴木・高橋につ
ぐ大姓になったのには、それなりの理由が存在する。
全国の田中姓のルーツのひとつが、北関東にあった八条院系の
荘園の名に由来することが明らかになった。ではなぜこうした歴史は失われ
てしまったのか。それはこの荘園「田中庄」の領主、田中氏が滅亡して、一
族が全国各地へ離散したためである。
はたして田中姓のあなたは、この一族の末裔ではないのか?
北は秋田県から西は福岡県に至る、全国各地に分布するその子孫の居住地
を明らかにする。
鎌倉時代のはじめ、北関東の一角、現在のつくば市田中に、「田中庄」と
よばれた荘園があった。この荘園、田中庄の地頭職には、ときの常陸国守護、
八田知家の七男、知氏が補任された。領主である知氏は、所領の地名にちな
んで、田中氏を名のった。弘安8年(1285)11月17日、この田中一族を悲劇が
襲う。のちに霜月騒動とよばれるクーデターに討たれた田中氏は没落、さら
にそれから50年後の南北朝内乱に、南朝方に与した田中氏はついに滅亡して
しまった。歴史の表舞台から消えてしまった田中一族。ある者は南朝の残党
として、同族の宇都宮氏や茂木氏を頼って北へ、またある者は仕官を求め、
京へと流浪の旅についた。
このうち近江国栗太郡辻村、いまの滋賀県栗東町辻に定住した田中氏は、
江戸期、鋳物師(いもじ)として再び全国各地へ進出をはかった。

404 :田中七右衛門:02/04/05 19:46 ID:j/unN8UE
寛永17年(1640)の早春のこと、辻村を江戸へ旅立つ一人の青年があった。
若者の名は田中七右衛門知次、幼名を与五郎といい、元和2年(1616)鋳物
師田中定次の三男として生まれ、このとき数えの二十五歳だった。
対岸に三上山を望む野洲川下流左岸に拓けた辻村は、寛永年間の村
高六百三十石余、膳所藩領に属していた。明治16年の統計では、戸
数120戸、人口505人、牛15頭、馬2頭というが、当時もそれと変わら
ぬ規模の村であったろう。
江戸へ出た知次は、前が江戸湾という舟がかりの利便からか、東海道
に面した芝田町に借地してそこに金屋を開いた。このとき七右衛門知次
が用立てた資金は、父より譲られたわずかの金子と、村の造り酒屋市右
衛門より融通の30両(現在の300万円位か)であった。
これが江戸深川の「釜七」の第一歩である。
七右衛門知次は、鋳物師として鍋や釜の鋳型の細工をしながら、一日お
きに鋳物の火がかりをする。寅の刻(午前4時)には仕事にとりかかり、
朝日の出る頃には鋳型への湯入れを終える。
型を割って鋳込んだ製品を取り出し、細工場を片づけて一段落するのは
十時半ころ。それから残り火で沸かした湯で行水をして汗を洗い流し、昼
飯をすませてひと休みの昼寝をとる。
いま詳しい考証を省くが、金屋があった場所について、冒頭に紹介した巻
本の「山側に金屋並びに見世あって」「今の芝田町の店、その時の見世な
り」の記事と、『江戸買物独案内』に見える「芝田町五丁目、鍋釜問屋釜屋
源八」から、旧芝田町五丁目山側にて、現在の芝浜中学校門西側、日産プ
リンス販売(港区三田3-5-28)が建つあたりと推測される。これは建築の
基礎工事の折りに、鉱滓や鋳型の破片の出土でその位置を確定できる。


405 :差別家研究家:02/04/05 20:19 ID:75VKyh6o
松本で手故意。

406 :田中七右衛門:02/04/05 20:40 ID:fSS6Mjc1
田中家次 (河内の鋳物師)

江戸時代の鋳物業界は、
真継(まつぎ)家配下のご用鋳物師、
三都(江戸、京、大阪)の鋳物師、
野鍛冶的鋳物師
の3系統に分類することができる。
真継家は蔵人所小舎人(くろうどところことねり)の位階をもつ公家で、諸国の鋳
物師を統括する権利を世襲していた。これに対して幕府は、三都(江戸、京、大阪)
の鋳物師を直轄していたが、全国的には、朝廷を背景とする真継家の鋳物師が圧倒
的多数をしめ、真継家がその利権をものにしていた。田中家は京に近いこともあり真
継家と交わりも深く、北河内における鋳物業を一手に任され、河内国惣官鋳物師とし
て、河内での独占的営業をまかされていた。田中家は枚方上之町で梵鐘などの各種の
鋳物を鋳造していた。明治以後は西欧の技術が入り、大量生産への道を辿った鋳物業
界の勢いにおされたが、伝統的な手法を引きづりながら昭和30年代にいたるまで鋳物
業を営んできた。

407 :鋳物師専用スレ?:02/04/06 07:43 ID:K+K7OTsl
日本史板にも鋳物師のことをこんなに詳しく書いてるスレはないぞ

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/07 19:42 ID:h1L5Gq3i
>>399
>方言にしても、関西でも東北系みたいな地域もあるし。

具体的には?
それが部落と関係あるの?

409 :田中七右衛門:02/04/07 22:30 ID:H3haybWG
田中の家系では芭蕉の弟子になった者もおる。
イモジ=忍び
クスシ=忍び
ササラ=忍び
文芸 =忍び

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/08 01:03 ID:gzDeIWB4
明治新姓で、田んぼ耕してた農民が田中と名乗った・・・てのが一番多そうだけどな。



411 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/08 07:37 ID:cvsRJLje
↑はとんでもない勘違い

江戸時代でも民衆のほとんどは苗字を持っていて、それを
公の場でに名乗ることが許されていなかっただけ

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/08 10:36 ID:KA50CS9l
>411
それは一部の武士下りの農民だけだよ
ば〜か

413 :411:02/04/08 10:53 ID:cvsRJLje
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/myouji.htm

↑ここを読め、その上でもう一度考えろ

414 :411:02/04/08 10:57 ID:cvsRJLje
http://www.coara.or.jp/~baika/goromaru/sigaku/sigaku3/sigaku11.html

↑ここの方がわかりやすいかもね

415 :百済:02/04/08 15:55 ID:GLswjz74
私の父方は紛れもない百姓ですが、除籍謄本には、明治以前の事柄にも
苗字の記載があったよ。不明な人は戸籍を辿ってみれば?
戸籍は遡れないのは前にも云ったけど、長崎市と津市のみ、です。

416 :じゅうべい:02/04/09 16:55 ID:A7hiIBNJ
>>284
近松寺からの通達に対し、田丸藩領多気郡の3ヶ村の「ささら」は
「不浄穢らわしき職」ではないとして田丸城の掃除だけは続けると
答え、それを認められたようです

このように掃除役を「賎業」だとする意識が弱まったのではないかと
考えられていますが、領主と結び付く掃除役だったということも影響
していたのではないでしょうか

417 :百済:02/04/09 17:30 ID:a0Nry2gW
よく見聞するのですが、
織田一党が、伊勢長嶋での一向一揆で2万人の被差別民
を蒸し焼きにしたという天正期の記事。
考えてみれば1570年代のことですよね? 近世ではないのでは?
どういうことなんですかね?

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/09 20:24 ID:ZG21L7CZ
織田無道は織田信長の子孫

419 :じゅうべい:02/04/10 17:53 ID:ktB3SlZr
応仁の乱が起こった原因の一つとして、その当時に各地で頻発していた
飢饉を挙げることができます
『看聞御記』によると応永27年(1420)には「天下大旱魃」「畿内西国こ
とに不熟」であり、翌28年には「大餓死」という状態に陥り、食糧を求めて
各地から京都に流入する人々が跡を絶たず、「諸国の貧人上洛し、乞食
充満す」るようになったとあります

それに対して幕府は五条河原に仮小屋を設けて難民を収容し、粥や銭の
施行を行ったといいますが、「河原者」の中にはこのような「乞食」も多く含
まれていたのではないかと思われます

420 :じゅうべい:02/04/10 18:03 ID:ktB3SlZr
『応仁記』応仁2年(1468)3月21日の条に「道原ハ板輿ニ乗、女ノ真似シテ、
後の山ヘ落ケルヲ、山名殿ノ河原ノ者、人シモコソアレ追懸テ討テリ」とあるよう
に、「足軽」(応仁の乱の際に登場した雑兵、略奪などを行うことも多かった)と
して参戦する「河原者」もいたことがわかります

戦国時代がこのような動乱の時代であったことを考えると、古代の俘囚がその
まま「河原者」や「穢多」となったとは考えることはできず、この点も俘囚説への
疑問とすることができます

421 :411:02/04/11 08:50 ID:fKCxf4x5
>>412
人のことをば〜か呼ばわりしといて逃げるのかよ?
反論ぐらいしろよ、あんたがば〜かじゃないんだったらな



422 :x:02/04/11 09:19 ID:Ve65GfY7

イタリア版キャプテン翼
http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/4038/



423 :坂上雲:02/04/12 14:04 ID:ujsm+PKS

俘囚系の関東独立自衛農民が、
中央軍事貴族に出自を求めて、武士になったんじゃないかな。



424 :坂上雲:02/04/12 14:08 ID:ujsm+PKS

平安期、国司待遇で京より関東に配転され、郷士となり武将となった武蔵
七党などの武将と松平とは筋が違うわけだ。


425 :坂上雲:02/04/12 14:18 ID:ujsm+PKS

国司・守護大名をことごとく粉砕し、下克上の果てに将軍となる。
平安下級貴族の多くは承久の乱などの戦で職能民となったこともあろう。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/13 07:50 ID:fg9LtMxE
>国司・守護大名をことごとく粉砕し、下克上の果てに将軍となる。

これ誰のこと?
家康のことではないよね?

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/13 13:33 ID:Eu3MqBgI
>426
意味不明の狂人に関わるとスレが荒れるよ

428 ::02/04/13 13:47 ID:UAHqdk9W
俺の苗字は河原だけと俺の子孫って河原者か?
と言うことは、俺はエタヒミンか?

429 :じゅうべい:02/04/14 16:54 ID:uKY24bvS
『日本書紀』の天武4年(675)4月17日の条に初めて出された殺生禁断令だと
いわれている詔が出されていますが、そこで禁じられていることは「檻穽」「機槍」
を用いる狩猟と4月1日から9月30日までの間は目の細かい「梁」を用いる漁猟
であり、狩猟の時期とその方法に関しての規定ではありますが、狩猟・漁猟その
ものを禁じているわけではありません

また、「牛・馬・犬・猿・鶏の宍を食うこと」を禁じるとはありますが、猪・鹿・兎などが
対象となっていないことから、肉食を完全に禁じているわけではありません

このように時期・方法・対象が限定され、これら「以外は禁の例に在らず」と明記され
ている詔は、殺生禁断令だとはいわれてはいますが、狩猟禁断令でも肉食禁断令
でもないことが明かです

430 :じゅうべい:02/04/14 16:57 ID:uKY24bvS
この詔が狩猟・肉食をする俘囚に対して出された差別法令ではないと
いうことは、松本氏が主張される俘囚説が成り立たないということです

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/16 19:39 ID:j7/hoPA1
いくらなんでも反論ぐらいしろよ
>>352>>354で松本を擁護してた人たちは、それぐらいしてもいいんじゃない?


432 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/16 19:58 ID:u/spVjhs
俘囚説は駄目だな。
1000年も前の差別が残ってるのなら
俘囚としての誇りと歴史も残ってるはずじゃないのかな?

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/16 22:47 ID:nfYG/r2a
>>411
別人だが、そのページの著者も言うように
人口の大半が明治新姓で無いという研究結果もまだないんだよ。
俺はそれは自分の家系のルーツを明確にしたいという願望に思える。
もちろん勝手に名乗ってた奴はいたと思うよ。

地形姓が日本人の姓で多数を占めるのは定説じゃないかな。

434 :じゅうべい:02/04/17 17:58 ID:Z7qie58v
『続日本紀』の天平13年(741)2月7日の条にも殺生禁断令が出されて
いますが、その詔には「馬・牛は人に代りて、勤しみ労めて人を養ふ、茲に
因りて、先に明き制有りて屠り殺すことを許」していないにも関らず、今でも
「百姓猶屠り殺すこと有り」という状況であったとあります

このことから、その当時は「百姓」の間で牛馬の屠殺が広く行われていた
らしいことがわかります

これも俘囚に対して出された法令ではないことは明らかですし、牛馬を屠
殺する者への卑賎視があったことを伺うことはできません

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 18:06 ID:V/e2NbGj
http://www8u.kagoya.net/~ut-info/multi/abortion/abortion.mpg
中絶について考えてね

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/17 19:18 ID:tZu9Tqp6
そういえば幼児殺しの宅間の奥さんも中絶したね。
あれが原因で宅間は幼児を殺したみたいたけど
奥さんにしてみれば、精神的に異常のある宅間のような人物の子供を生むべきではないという
適切な判断をしたにすぎないのにね。
やっぱりBとの結婚は不幸を生むね。

宅間はもちろんB

437 :百済 ◆OXLav4ic :02/04/17 20:01 ID:ZGRks59E
仏教の殺生とアウトカースト思想は最初に支配層に雇じられたが、
庶民に深く流布したのは、地域によってかなり相違があると思い
ます。さらに、貨幣経済の日常化が、キヨメの仕事を貶める要因
になったのではないか、というのが私の意見です。

現代でも、穢れ関連の職業が利権となり、非常に排他的な分野に
なっているように思える一方、維新より導入された一種の産業革
命は、昔の穢業をそのまま世襲するのを阻んだとも思います。

太平洋戦争後、列島は焦土と化し、その中で、多様な過去の文化、
未来の文化醸成気概が複雑に絡みながら、脅威の経済成長も産み
出した。そのなかで、置き忘れていったものは、庶民の意識革命
と自由平等博愛というメタモルフォーゼではなかったか?と少し
反省してもいいのでは、と思います。今年の夏も靖国で揉めるだ
ろうし。
置き去りにしたモノを、今こそ、見つめることだと思います。


438 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/18 09:37 ID:gL8wC6LY
差別問題は何ていうか、仏教の暗黒面を見る思いだよ。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/18 09:41 ID:CmkU7AId
今438がいいこと言った!

440 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/18 11:50 ID:JeOBhvWq
スレ違いやけど、つい最近まで差別戒名使っていたとは考えられない。
坊サンの2ちゃんねらーいてる思うけど意見聞きたいもんです。
システムになっていて止められなかった?

441 :御仏の声:02/04/18 14:33 ID:G/tdl53y
>440
穢多は人ではないという原則を忘れてはいけません。
これは皮肉ではなくて実際そうだったのです。
人間とは戒名を分けるという事で差別するのが目的だったわけではないのです。
もっとも結果は差別に繋がりましたけどね。

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/19 18:16 ID:Oq4HjJVe
松本さんはまた転勤ですか?
サラリーマンはいろいろと大変だね

443 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/19 19:12 ID:Eg1t3Drr
明治政府の部落解放令の時、反対する百姓一揆が起こったらしいけど
経過はどうゆう具合になったんですか?

穢多は人間ではないと言うが、墓石立てるの人間以外ないでしょう。
明治以前の百姓の墓は自然石のとこ沢山あったでしょうに・・・。
ようわからん。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/20 14:33 ID:vomO6KYY
松本は氏にました

445 :百済:02/04/20 15:53 ID:CIIkmSCW
>明治政府の部落解放令の時、反対する百姓一揆が起こったらしいけど
>経過はどうゆう具合になったんですか?

マジで某団体にメールしましたが、「本を読んでくれ」とかいって
なんか入手不可能っぽい昔の本だとか、解放出版の本を紹介された
記憶があります。しかし、朝熊事件?とか伊勢騒動は地租改正運動
に包括されて論じられているので、なかなか分かりませんでした。
父の本籍地の近くが代官所だったので、そこでの騒動が原因で、そ
の村の百姓はエタが大嫌いになったとか。差別じゃなくて嫌いにな
ったそうです。三重県北勢の話ですが、一揆の発祥は松阪らしく、
松阪・津などをまたしても嫌う傾向に繋がったような気がします。
あくまでも私見です。
一揆の首謀者は私罪ですが、地租の値下げに成功していることで、
伊勢騒動は全国の一揆の見本となったそうです。
3%から2・5%になりました(当時)

446 :百済:02/04/20 15:58 ID:CIIkmSCW
さらに、戦後の農地解放がGHQの方針転換で中途半端に推移し、
結局JAが大代官に変わっただけ、というのも事実でしょう。
3反以下の百姓に対しては開放は施行できなかったので、小作は
残ったのが現実です。ここらへんから竹下登氏の進み路が・・・

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/20 18:03 ID:29LbmEQu
>>446
関係ないけど農地解放で
土地をとられたアイヌは多いらしいです。


448 :百済:02/04/20 18:32 ID:YrZDMHU8
ところで、戦国の合戦には、何万もの兵士が動員されていますが、
戦国時代の日本の人口って1000万人くらいでしょうか?
学者がはじいた人口を忘れたのですが、確か江戸末期で3000万とか。
とすると凄い人数ですよね。

人口と地域などを再考しないと「部落の起源」が語れないような気がします。
室町時代なんかは公家武士寺社、百姓と土豪以外は、職能民はおしなべて
センミンであったような気がするのです(オーバーかな)
センミンの職種29に、段階的に身分上げを施したのは、領主の政策に
よるところも多いと思うし、エタというセンミンは、ところ違えば百姓
が行っていたこともあろうし。
畿内で多かったのは既出のとおり、寺社勢力が強かったためでしょう。
領主を脅かす宗教勢力の下層の民は、一揆で身分を貶められたとも思い
ますが、その宗教こそ仏教であったのですから、非常に矛盾を感じます。

449 :百済:02/04/20 18:38 ID:FqQFdHga
浄土真宗の派閥抗争(ヤクザみたいな)を勉強しようかな。
高田派と大谷派も喧嘩しているみたいなので聞いてみたのですが、
返事をくれません。いまだに寺社勢力の大きい我が国を憂いますね。
宗教自体、否定をまったくしませんが、利権坊主は問題じゃないですか?

差別改名だらけのお墓に行ったことがありますが、
観光目途になっている。地元の人の心情はどうなのかと思ったのは
人権板住人の複眼の所為か?

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/21 15:29 ID:Ec0g07Bq
>>448
>センミンの職種29

それって弾左衛門の由緒書きに書いてあるヤツのこと?
あれは完全な偽文書なんじゃないの?

451 :名無しさん:02/04/21 16:01 ID:azXjkePA
>>449
利権坊主と人権は関係ないでしょ。
なにもかもいっしょくたにして文句言うと馬鹿サヨとおなじになっちゃうよ。
そういうのは適切な板orスレへいって言ってください。

> 差別改名だらけのお墓に行ったことがありますが、
> 観光目途になっている。地元の人の心情はどうなのかと思ったのは
> 人権板住人の複眼の所為か?
地元でも差別されてるんじゃないか、まだ。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/21 16:47 ID:uLLiHPHK
利権坊主と人権は 関係ある。

453 :白山東光:02/04/21 23:47 ID:Md3o7HMZ
>>451

452さんの言うとおり関係はありそうですね。
別冊宝島Real 西本願寺「スキャンダル」の真相!
http://www.takarajimasha.co.jp/betaka_real/479662502x.html


454 :名無しさん:02/04/22 01:43 ID:B0erIbnZ
>>453
それは「関係ある奴もいる」っていうだけだろ。
まあ、高田派はたしかにその発祥から金儲け第一主義だけどね。

455 :百済:02/04/22 11:52 ID:4gG3df0W
こんなのがあった。

http://members.jcom.home.ne.jp/terasima1/hokoriuru.html

456 :↑の後書きより引用:02/04/23 21:48 ID:TE7x+XUo
今の部落問題というのは、明治以降にあるということができる。
   差別する人
   差別する社会 これらを変えねばならない
   部落の人のためにやってやるのではなく、自分自身を変えていくことが必要。


457 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/24 10:25 ID:tmNvwGmw
前スレhtml化記念あげ。

458 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/04/24 10:37 ID:QiBvKO3X
http://homepage3.nifty.com/fhiso/

web現代思想フォーラムを立ち上げました。

プロキシ規制、煽り、中傷防止、リモホ管理しており、落ち着いた議論の
出来る場になっております。よかったらいらして下さい。

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/24 16:31 ID:+IVQJI3s
>456
部落民の意識を変えることが重要

460 :百済:02/04/24 17:32 ID:nrgzdlvW
>>453
それは「関係ある奴もいる」っていうだけだろ。
まあ、高田派はたしかにその発祥から金儲け第一主義だけどね。

どういうこと?

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/25 00:14 ID:UUe4unNO
>>458
もうすこし、すれの話をしぼってもらわないと、
話題としては、しんどいな。
自由さの制限と話題の自由さは、紙一重。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/27 05:01 ID:aoFmCvVM
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/989637218/

日本史板から来ました。

463 :出目金:02/04/27 14:02 ID:0FFYJwvX
462さん
本に書いてあることしか信用できない痴呆ばかりのいる板の住人ですね。
もっと身になる部落の歴史について勉強してください。
部落について知らないというのはれっきとした差別です。
痴呆に何をいっても仕方がありませんですけどね



464 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/27 14:08 ID:V2O7ak2g
>>463
他人を痴呆呼ばわりするのも差別とちゃうんかと小一時間(以下略

つか、教育水準の低い人は書籍や歴史から学ぶことを極端に忌み嫌うんだよな。
これ定説。(c)グル高橋

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/27 15:58 ID:YbZuFXk6
>>463
>本に書いてあることしか信用できない痴呆ばかりのいる板の住人ですね。

何の根拠もないことを書き立て、罵倒を繰り返すような人たちには言われたくないってば

466 : :02/04/27 17:08 ID:qKQhR15F
悲惨な>>463がいるスレはこちらでしょうか?

墓穴を掘りましたね、出目金タソのこの後の行動に注目しませう


467 :読書バカ:02/04/27 17:12 ID:o5f8lqHZ
Bに煽られて過剰反応してんなよ 藁
まるで事実を認めているかのようだよ

>ソース出せ
ってタルタルソースのことかい ?
君たちの口癖だよな

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/27 17:20 ID:V2O7ak2g
Bは、自分たちへの差別を無くせと叫ぶくせに
その他の差別、例えば性差別とか学歴差別とかは
容認、いやむしろ奨励してるんだな。
まるであべこべな行動規範。そうだろ?>デメ

469 :もっこす(勉強してるか?) ◆08EeniEM :02/04/27 17:20 ID:qlWYABvu
>>463
知らないことが差別ならば、生まれたばかりの赤ん坊は一番の差別者ということになりますよ。
知らないことは勉強すればいいんです。
この板に来て、図書館に通うようになった人もいますよ。
勉強する機会を奪うことは差別ですが、この板では、勉強するように奨めています。



470 :松本治一郎:02/04/27 17:38 ID:LEkEHKz0
>もっこす@うそつき
>知らないことが差別ならば
これは街道側の典型的な理屈だろ ? あいつだけが言っている話ではない。
Bの大部分がそう思っているはずだ。何で勉強家のお前が知らないんだね

>知らないことは勉強すればいいんです。

それはお前自身のことだろ ?

471 ::02/04/27 17:50 ID:I+aTcnVT
本物か?

472 : :02/04/27 17:53 ID:qKQhR15F
閣下Vs出目金

期待hage

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/27 17:55 ID:YbZuFXk6
>閣下Vs出目金

どこをどう読めば、そういう構図になるんだ?

474 : :02/04/27 18:34 ID:zjiB/bNX
>>463
出目金さん以前別なスレで

6 名前:出目金 投稿日:02/04/13 08:11 ID:SgLR8+zi
表現の自由は無制限に許されるものじゃないんだよ。
相手がいて、言葉は発せられるんだからね。
他人を尊重し、自分に厳しくが一番だよ。

と発言されていましたね。
>他人を尊重し、自分に厳しくが一番だよ。

と述べておきながら、日本史板の住人を
一方的に無知と決めつけ、痴呆と差別する。
矛盾していると思いませんか?

それとも、もっこすさんみたいに
>>463の発言は偽物です・・・
と逃げますか?



475 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/27 18:50 ID:f/VDR9HU
出目金氏にキャップ付けるよう書き込みましたが
意味判って見えますか?偽物ですはもうなしヨ。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/28 00:10 ID:Y0pNv0R+
http://husianasan.2ch.net

477 :七氏:02/04/28 23:16 ID:GbQXhnGW
出目金召還age

478 :出目金:02/04/29 08:56 ID:vsSGY/4L
475さんへ
ごめんごめん。
キャッブの付け方教えて。

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/29 09:22 ID:V5VOffJZ
>469
Bなんか勉強でわかるもんじゃねえよ。
つきあったり、一緒に働いたり、飯食ったりする中で
分かってくるもんだよ。図書館行って江戸時代の歴史の
本なんか読んだって、一方的に御上からこんなことされました、
あんなことされましたってさあ、いじめられっ子じゃねえつーの。
そんなもん読んで、こういう所でBとあったこともねえ関東のやつが
無知が差別を生むとか言われてもなあ、そりゃ違うやろ。
大体そういう書きこみ見て関西に引越ししてきて地区に移り住んだり
気軽に結婚したりするやつが出たりしたらどうすんだ。
責任とれるのか。現時点ではまだ時機尚早ってことよ。
実際まだ七割がたはゴロツキだよ。俺はガキのころから
現在まで付き合ってきたんだから、連中のことは知ってるよ。


480 :出目金:02/04/29 09:56 ID:fGqDs3e9
他のレスで知りました。
部落史は部落を正しく理解するうえで大切なものですね。
最近では各地域地域の部落史の見直しを計画されている行政もあるようです。
もっこすさん、よく勉強されていますね。
私も知らないことが多いので大変参考になります。
468さん
「Bは、自分たちへの差別を無くせと叫ぶくせにその他の差別、
例えば性差別とか学歴差別とかは容認、いやむしろ奨励してるんだな。」
その根拠は?
463から話が少しずれてしまったように思います。
無視してまた元にもどりましょう。

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/29 13:38 ID:J/GZxCAe
>>480
> その根拠は?

文献や歴史やらを信じないデメちゃんにご丁寧に説明するヒマのあるヤツは
どこにもおらんと思うぞ(w

482 :出目金 ◆fzPDX9ts :02/04/29 16:55 ID:aAx4xpfM
>478↑出目金#000
ハンドルネームの後ろに半角英数で#000(任意)で入ると思います。



483 :出目金 ◆deme9gY2 :02/04/29 17:31 ID:Vs05hTp2
482さんありがとうございます。
今後キャップを付きでレスをします。
本物と偽物の区別をこれでつけるのですね。


484 :出目金 ◆xVepsVvg :02/04/30 12:04 ID:ID4dfkh/
482さん、ありがとう。
でも、また483のように偽る人がいます。
よく、こういう人いるよね。悪気はないと思うからほってたけど・・・。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/30 12:25 ID:Tqw2/MzM

http://www.kimiaki.gr.jp/

486 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/30 12:53 ID:X2vLBMqm
483は偽者かいな。ったく!
ニセのほうが渋いキャップやね。

487 :出目金 ◆xVepsVvg :02/04/30 21:05 ID:WxHGDO7X
負けました。話を進めてください。

488 : :02/04/30 21:56 ID:j1Nf2ubj
>出目金さん
偽物でも本物でもどちらでもかまいませんが、

>>480
>もっこすさん、よく勉強されていますね。
>私も知らないことが多いので大変参考になります。
この発言だけは早く取り消した方がいいよ


489 :もっこす(19インチモニターは広いぞ) ◆08EeniEM :02/04/30 22:38 ID:M9m/Lyo+
固定ハンドルの強みということで、上げ

490 :出目金 ◆xVepsVvg :02/04/30 22:52 ID:KuU8A7LV
488さん、一度ちゃんとはじめから読んでみます。

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/30 22:59 ID:l0r3zk38
韓国は戦勝国だとか、東京では毎月25%が引越しするなんて、
誰も知らないことを知ってるもっこすさんはえらい!

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/01 07:47 ID:KBXnjC1D
もっこすって、旧日本軍がナチスドイツ軍に負けたとか言ってる人?

493 :20代の若者:02/05/04 03:20 ID:le4g+5vx
私の祖先は代々、
木こりだったそーだが
おいらは部落民ですか?
東京都民(都下)は自分が部落民かそーでないかはわからないのでーす。
ちなみにおいらの父方祖父は長野県民です。



494 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/09 10:08 ID:klyCidge
このまま沈めるのは惜しいスレなのでageとく

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/09 21:30 ID:TX06MY2S
>>493
部落民です。

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/09 21:54 ID:V/k//y5c
部落の起源は、かなり古い。
少なくとも鎌倉時代まではさかのぼれる。
東国、蝦夷との戦いでの捕虜が起源。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/09 21:54 ID:eOq/3khg
>>493-495
違うだろう(w
木こりは一定の地区に住むように制限されてなかっただろう

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/09 22:21 ID:6a1eLbo8
自分が部落民とか調べる方法ある?

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/09 22:24 ID:eOq/3khg
>>498
戸籍を調べて祖父辺りに「新平民から平民」と書いてあれば・・・
あぼーん

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/09 22:27 ID:6a1eLbo8
>>499調べるの怖いよ。母方が怪しいんだが。

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/11 09:12 ID:jF8tDEui
>>496
あんた松本か?


502 : :02/05/11 16:44 ID:8ocTefrN
島崎藤村の破戒を読むと
昔(明治)はいかに部落差別が惨かったかがわかる。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/11 16:49 ID:rlSd8R7O
部落も酷かったと思う。

504 :   :02/05/11 17:52 ID:YbyPCbc2
>>496
しかしおまえら捕虜が好きだねえ。
蝦夷やの百済やの、まあ確かに起源としては中世
少なくとも平安くらいまでは遡るだろうね。
しかしルーツは川原乞食いわゆる食い詰めて川原で
バラック建てて住んでるような連中だろう。
今でもいるだろう。ああゆう場所に捨てられた
死牛馬の死体処理して皮剥いで糊口を凌いでたんだろうね。
そのうちにそういう革職人の集団のようなものに
変化していったんだというのが正論じゃないの。
部落と一口に言ってもいろんなルーツのものがあるからね
街道沿いの警護役人の村、四国などに見られる海岸警護、
芸能ルーツ、竹細工、陰陽師、西南戦争の戦争難民がルーツの
ものまでが発見されている。しかしそういうのは少数でしょう。
メインはかわらもんだろう。


505 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/11 18:09 ID:jF8tDEui
↑瀬戸内海沿岸には、元・海賊ってのもあるらしいしな

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/11 18:27 ID:5OMHm7nD
>>502
はかい読んでないよ。

かにこうせんも。

507 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/11 19:12 ID:lc9pUbpC
島崎藤村の破戒を書いた裏話し何か有りますか?
たしかお兄さんは取り上げられた木曾の植林権返して貰うよう陳情に行き
帰り道の途中自殺してしまう。その話しが「夜明け前」ですか・・。



508 :    :02/05/13 22:50 ID:Z/SIDAcz
>>504
部落の祖先はかわらもん
貴重なレスだ

509 :松本治一郎 :02/05/14 07:27 ID:Sa6JJrxs
>504
お前はバカかね
河原者が先祖だっていうのは誰でも分かるだろ ?
その川原もののルーツをやってんだよ。
前スレ読んでからこい。
>じゅうべい
お前もそうだ。同じことを何度も書くのはやめてくれ。

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/14 15:55 ID:Noww6Lx/
>>509
俘囚から河原者になったという証拠は?

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/14 20:04 ID:YKcbpPfx
>510
違うという証拠もないのでは?
時代的な状況証拠から判断すれば俘囚説は有効だよ。
十分な説明もスレ内にしてあるしね

512 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/14 20:19 ID:LSk3/+2n
>509
本物か?
人を馬鹿呼ばわりする前に長い間レス空けた
挨拶ぐらい付けてからしてくれ。
それが仁義とゆうもんや。。。

513 :sage:02/05/15 06:37 ID:wm+6+YHA
>512
?

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 08:38 ID:Z2fUxWfk
>>511
はあ?
状況からして、河原者はあぶれ者の集団だってわかるでしょ?
一部に元俘囚がいた可能性は否定しないけど、それ以外の人々も
多く含まれていたことははっきりしていると思うけど?

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 08:39 ID:Z2fUxWfk
>>511
それと、「十分な説明」ってなに?
具体的な史料の一つも出さないくせに、それで「十分な説明」なのか?

516 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/15 11:54 ID:RNNfhuP7
パート1かで外出やけどネ。
67 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/10 16:08
景行紀に日本武尊が捕虜とした蝦夷を伊勢神宮に献じたが、彼らは喧嘩ばかりして
騒がしいので追放され、朝廷が御諸山(奈良県三輪山)のそばに移したところ、神山の木は倒す、
近隣の人々をおどすやらした。そこで彼らを播磨、壱岐、伊予、安芸、阿波五ヵ国に移した。
これらが五ヵ国の「佐伯部」の祖先になったという伝承です。
宮廷や官庁の警護にあったとされており、後の北面の武士に似た性格を持っています。

参考までに
http://www.e-obs.com/top/heo/heodata/n300.htm

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 13:34 ID:qn/6uCBO
空海は佐伯だよね。

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 16:22 ID:6NdquAfh
>514
説明にも何もなってない気がしますけど・・・
あぶれ者って何 ?

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 18:00 ID:fQTKlewm
Bって古代氏族の落人かも。日本の地形は山間・僻地が多いので
落人になりやすい。民族あるいは集族が偏在しやすいし、殲滅も
免れやすいような気がする。河原に居ついたのは、戦が収まった
とみるや降りてきたような気もする。また戦が始まると使役をま
かされるようなことの連続もあったろう。
反体制者が多く旅芸人になるのは世界の常識。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 19:12 ID:X/qUOmOE
神道ってB専門なんですか? と親が言ってますが。

521 ::02/05/15 19:59 ID:2yD4qOuZ
意味不明???

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 20:02 ID:LFcn0AyX
とりあえず俘囚のほとんどが農民もしくは一般の民人になったという証拠がほしいところだね。


523 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/15 20:03 ID:LFcn0AyX
久しぶりに盛り上がってきたので楽しみにしています。
仲良くやってください。

524 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/15 20:27 ID:dxszpwaC
仏教が広まる前と後と別けないかんわネ。
あれもこれも外出ネタやけど
松本のおっさんが出てこんうちに盛り上がりますか・・。

525 :そら:02/05/16 01:27 ID:XdUBv2kj
ここが一番まともなスレッドかな。

かなりの知識と見識がないと語れないのが起源について。
センダラとかいう印度の思想を武家が利用した。
武家といってもいろいろあろうが、恐らく鎌倉・北条辺りからじゃないか?
武家と徒党を組んだアズマはBに無頓着なのは当然だね。
とーころで、サンエって弾家の参加なのか?
東海道の西端はどうなっていたのか?
百済はいろいろとサンエのことを披瀝しているが、今ひとつサンエが見えない。
差別の水際にあるのがサンエなのかなー?

526 :松本治一郎:02/05/16 06:57 ID:RSgDJpUx
なら勝手にやってな
自信満々のところを水をさすようで悪いんだが
517のコピペが意味不明なんだが ?
何がいいたいわけ
捕虜とした蝦夷というのはズバリ俘囚の事を言っているんだと思うが
ちゃんと延喜式を加味して考えてるか ?
お前らは本の全てをきちんと理解しないで、該当部分のみを抜き出して書き込みしているようにしか見えないよ。本を読むことは当たり前だが、もう一歩踏み込んで考えてもらわないとこっちも萎えるって
前にも料理百科だったか・・ちょっとド忘れしたが、そこに薬として犬の料理がのっているから
大部分の武士、庶民が犬を食っていたと譲らない奴がいたが、まさに君はそれ。

ちゃんと本を読んでいるのなら俺の言っている意味くらいはわかるよな ?

それに大暴れしていた俘囚を何度も移動させたからといって
武士に類似したものになるという結末は普通に考えて疑問だろ

俺なら遠くで出世していると残った仲間には言いつつ殺すよ。
手におえない奴ならね。仲間の前で殺せば火に油をさすのと同じだからね。

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/16 07:03 ID:4AG4hbhY
松本のお嬢ちゃんがきて、糞スレになったね。。

528 :松本治一郎:02/05/16 07:07 ID:RSgDJpUx
それと
じゅうべいにも言ったが、俘囚でないというのなら各々持論を述べな。
俺の言っている事に噛み付いてたって結局俺が答えるだけで何も進展しないだろ
まあ、持論を唱えれば間違いなく指摘は受ける。
そうすれば読解力のない君らは不利。だから述べない。
ここで論じているのはBの源流の話であり、古墳にまつわる者などその他諸々の細かい部分を指摘する話ではない。そこを理解してほしい。細かい部分というのは細かい部分であると理解してから書き込みしてくれ。
はっきり言ってお前らと話していても何も得るものがないよ。
ギャラリーも少ないし熱くなれねえな。

まあ勝手に盛り上がっていてくれ。断言するが君らでは無理。
そんな簡単なものではない。

529 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/16 07:18 ID:VdZ6GHjX
このスレ立て人の問いかけに答えてないし人をバカ呼ばわりわする。
過去レス呼んでからこいってか。
長い間レス空けた挨拶だけはせいよ。
一般常識だけは付けてからこい。

530 :松本治一郎:02/05/16 07:25 ID:RSgDJpUx
負け惜しみはいいよ。
冷静になって考えれば俺の言っていることが君の持論を中心に考えたとしても
あながち的外れではない事はわかるだろ

君らごときに挨拶は無用。書き込みしたことに感謝してほしいくらいだよ。

531 :じゅうべい:02/05/16 08:59 ID:+hARQutK
>>518
「あぶれ者」というのは、飢饉の際に京都に集まり、施行を受けた「乞食」
などのことではないかと思います

少なくとも「穢多」「河原者」ともに文献上の初出は京都における事例で
あるわけですし、いつ反乱を起こすかもわからないような俘囚を鴨川の
河原などに配置したりするとは思えません

532 :松本治一郎:02/05/16 13:27 ID:PgHOaGVf
>531
文献に登場したのが教徒というだけだよ。言っている意味はわるかい ?
延期式に教徒の俘囚料は計上されていない。
という事は考えられるのは
教徒に俘囚は移転されなかった。もしく俘囚料は地方から中央へのものだから
あえて中央のものは計上されなかったかのどちらかだ
前者の方をとれば教徒のそれは流入組である事はだれでもわかる。
あと教徒に刑場を作る時に外部から賎民を移転させたという史実が
教徒の代表的地区の歴史にある。ここでもコピペがあったはずだよ。
要するに教徒は特殊な例にあたる。

>いつ反乱を起こすかもわからないような俘囚を鴨川の河原などに配置したりするとは思えません
それはこじきとて同じ。反乱を起こしても教徒ならその鎮圧は地方にくらべて比較的容易なはずだね。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/16 13:48 ID:TYy6IQ/l
 中上健次は、小説の中で、強引に浄徳寺と千毒坂=被差別部落を結びつけたがっ
ていた。被差別部落と「鉄砲」や「槍」。両者を結びつけるものこそ、一向一揆にほ
かならない。「鉄砲」に関していえば、一向宗のなかでも雑賀衆や根来衆、堺の門徒
たちが強力な鉄砲隊を編成し、信長を悩ませていたことは有名である。しかし、信長
と石山本願寺の和睦が指し示すように、やがて一向一揆は信長のまえに壊滅する。一
揆の壊滅と被差別部落の「起源」については、柄谷行人が「被差別部落の『起源』」
のなかで、石尾芳久の『被差別部落起源論』を踏まえつつ「近世賤民制の本質を普遍
的な救済宗教の弾圧に見出」している。本願寺の転向である。「石尾芳久によれば、
雑賀衆は概ね被差別民にされ、紀州の浄土真宗の寺の多くは『穢寺』として統合され」
ている。雑賀衆=一向宗を率いて信長と戦った浜村孫一の伝説が被差別部落に残され
ていることと、以上の歴史経過は密接に連関している。「浄徳寺ツアー」が書かれた
時点で、中上が本願寺と被差別部落の関係について、どれほど考えていたかはわから
ない。しかし、この小説には、柄谷が『枯木灘』から読み取る被差別部落の「起源」
が暗示されている。その意味においていえば、浄徳寺は本願寺に対応している。


534 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/16 13:49 ID:TYy6IQ/l
したがって、彼にとって浄徳寺は「炎を噴き上げ」なければならない。燃やすべき対
象でなければならない。しかし、一方で彼が「まだ敵味方に分れて、殴ったり殴られ
たりしたいのか? 殺したり殺されたり、鉄砲で撃ったり槍でついたりしたいのか」
といっている点に注意したい。「浄徳寺ツアー」において、浄徳寺は彼によって燃や
されるべき対象としてありながらも、同時にそのことの無意味性が露呈させている。
この両義性は重要である。「浄徳寺ツアー」はあくまで小説である。小説である以上
は、いかなる思想=イデオロギーに収斂される必要もない。むしろ、この小説は、そ
の両義性を認めたところから出発している。いいかえれば、その両義性にこそ「浄徳
寺ツアー」のイデオロギーが存在する。それは、すでに見たように、宗教に対する批
判と宗教批判に対する批判の関係と対応している。
「浄徳寺ツアー」は、のちに圧倒的に展開される被差別部落の問題=「路地」を描い
た小説群への基点となった小説の一つである。と同時に、それは、あくまで主人公で
ある彼の「実存」を抜きにしては語れない。


535 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/16 13:49 ID:TYy6IQ/l
石尾芳久は『被差別部落起源論』(木鐸社、1975年、絶版?)のなかで、次のよ
うに書いている。「被差別部落の起源を把握するということが極めて重要な課題であ
ることは、縷説を要しない。しかも、従来の概説書の多くは古代奴隷制から説きおこ
すという方法論としては学問以前ともいうべき素朴な流出論の手法を用いている。
それはあたかも被差別部落の起源が『永遠の過去』に溯るかの如き印象を与えている。
しかも、かかる印象を科学的な分析によって断ち切ることこそ、被差別部落起源論の
課題なのである。従来の学説が流出論に陥った理由は、それが権力の問題を看却した
ということ―たとえば古代国家と近世幕藩体制とが支配権力として如何なる質的相違
を示すかといった基本的問題を看却したところにある。この意味において近世幕藩体
制の権力の体質と被差別部落との対応の関係は、被差別部落の起源を論ずる場合の根
本的前提として常に考察しておく必要がある」

紀州の被差別部落について、柄谷行人は「差異の産物」(「新潮」1993年)のな
かで、やはり石尾芳久の『一向一揆と部落』(三一新書、1983年)を踏まえつつ、
被差別部落が「中世的な構造を解体する浄土真宗(一向宗)の運動を、徹底的に弾圧
した信長・秀吉によって、報復的に創り出され、徳川体制によって制度的に確立され
た」ことを指摘している。実際、石尾が指摘するように、中世末期の「宗教一揆つま
り宗教・思想運動をやった人々は身分をおと」しめられているのである。


536 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/16 14:48 ID:XcvdNtKL
早速嵐登場だね

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/16 16:13 ID:36sP3+6q
織豊はナチの民族浄化と同じか?

信長・秀吉・家康は権力闘争の勝者として、世間一般では英雄視されていますが、
それは表面的な歴史の見方です。歴史の真相は何だったのでしょうか。石山合戦は
本願寺対信長の闘いでしたが、また、農民、職人、被差別者集団の本願寺と信長、
秀吉らの武士集団との戦いであったのです。やがて、支配権力を握った秀吉らは、
自らの権力を天皇によって血統呪術的に正当化し、勅命講和後、やむなく転向させ
られた本願寺を利用して、最後まで厳しく武士に抵抗した一向宗門徒たちを「身分
貶下政策」によって処罰し、他の者への見せしめとしたのだと思われます。そのこ
とは、太閤検地、刀狩りのときに「かわた」身分がはじめて台帳に記載され、穢多
寺の差別戒名がつくられ、死後にまで差別が及ぶようになったという事実が明証し
ています。親鸞の信仰のために戦った人達の身分貶下が、被差別部落成立の素因で
あると考えられるのです。

538 :じゅうべい:02/05/16 16:14 ID:+hARQutK
>>532
京都にいた「河原者」が、松本氏が言われる「流入組」だとしても、そこに
俘囚以外の人々が含まれていなかったことがわかる史料の提示をする
ことができないのならば、俘囚説には実証性の面で問題があると言わざ
るをえません

また、「俘囚料は地方から中央へのものだからあえて中央のものは計上
されなかった」というのも、あまりにも強引過ぎるのではないでしょうか
俘囚料の計上と被差別部落の分布は一致すると主張し、それを俘囚説の
重要な根拠とされていたにも関らず、それと矛盾するようなことを言われる
のならば、自説を修正したということを、まずははっきりと宣言されるべきで
はないでしょうか

539 :松本治一郎:02/05/16 18:20 ID:jr28TMHB
>538
京都は特異な例だから、これをもって全体像を掴むことはできないって事を言っているんだよ。
わかる ? おばかさん

>「俘囚料は地方から中央へのものだからあえて中央のものは計上 されなかった」
こういう考え方もあると言っているだけで
俺はその考えをとっていないだろ ?

もう少し
ものを考えろ ばか


540 :松本治一郎:02/05/16 18:31 ID:MATEfZn1
もう一つ言っておくが
俘囚料は中央が地方に支出した稲料のデータだから
中央そのものの支出はここに計上されていないというのは十分に考えられるよ。
>あまりにも強引過ぎるのではないでしょうか
君の頭が悪くて物が考えられないだけだよ

>俘囚料の計上と被差別部落の分布は一致すると主張し、
マジでバカだと思うよ。
京都はこれこれこういう理由で特殊なんだと説明しているのにも関わらずこれなんだから疲れるよ。
何も矛盾してないだろ

541 :百済 ◆OXLav4ic :02/05/17 00:45 ID:zmR62LNq
中央って何処でしょうか?

542 :百済 ◆OXLav4ic :02/05/17 00:46 ID:zmR62LNq
京都も、新京なり・・・

543 :部  :02/05/17 00:53 ID:hPJ2ANo6
>540
今時俘囚っておまえが一番のバカだよ。
どっかの学者の説にみじめな自分と同一視してるだけだろ。
おばか君。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/17 03:04 ID:98zJpZ8r
百済は入室禁止です。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/17 03:09 ID:98zJpZ8r
>543
ぜひ正しい説をあなたが説明してください。
ここでは俘囚説しか説明がされておらず
他にだれ一人として新しい説を立ち上げておりません。
これではあなたが何をいったって説得力は皆無です。

546 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/17 05:03 ID:Tvgxipe6
百済は入室禁止はサンエ板だけやでェ。

部落の起源やから最初やわネ。
それが連綿と続いてはいないやろけど
「河原者」税払いたくない怠け者。
税徴収しだすと台帳などが残る。
お寺がおかしな連中を管理しだし檀家制度も出来るは・・。
で、京都以外は俘囚料の計上と被差別部落の分布は一致してるんかいな・・。

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/17 05:21 ID:Ihsjeq5B
百済はじゃまだって
ここに限ったことではないけど
ただのおなに的文章が続くだけで荒らしとかわんないよ
全然流れを無視している。
突然にあらわれる悪口のみで否定する奴等も同じ
こういうのって誰でもできるんだよね。
一生懸命理由を説明しているところを「お前は間違っている」の一言で延々話を進めない奴っているだろ?まさにそんな感じだよ。

548 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/17 06:45 ID:shq8upOU
なら、松本のおっさん!

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/17 07:16 ID:Qw8OlgQ/
松本のお嬢ちゃん!!

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/17 08:30 ID:JJR0SCv5
>>545
河原者説が説明されていますが、それが何か?

551 :百済 ◆OXLav4ic :02/05/17 14:02 ID:uKUx0lhV
>百済はじゃまだって
>ここに限ったことではないけど
>ただのおなに的文章が続くだけで荒らしとかわんないよ
>全然流れを無視している。

あなたから見れば支離滅裂無知蒙昧でしょうから、帰納法的な表現は
ご理解していただけないのでしょうね。それより、最近、ここでは
2行しか書いてないけど? ま、どのボードでも私は撤退します。
風流を解することが出来ない連中とは匿名掲示板で交流するのは無理。
何事も一元的にしか理解できない、また焦りを請うような流では嫌で
すね。ドグマに陥るほどの博識者だけでカキコなさったら?
それから、嵐を嫌がる狭量さは、なにかと揉め事の原因じゃないかな?

ということで、もう二度とここにか来ません。
勢州ボードにはただいま研究中の幕末期の一揆と解放例の実態を書こう
かと思っていましたが、もう悲しいほどにゲンナリ。
論を積み上げることは排他的であってはいけないでしょ?

京都が新しい都であることぐらい常識でしょ?

さよなら。


552 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/17 16:06 ID:JJR0SCv5
>>539
>>「俘囚料は地方から中央へのものだからあえて中央のものは計上 されなかった」
>こういう考え方もあると言っているだけで
>俺はその考えをとっていないだろ ?

ということは、「教徒に俘囚は移転されなかった」という考えをとっているわけですね?

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/19 20:50 ID:PXKRgSLk
で、松本閣下の考えはどっちなの?

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/21 02:16 ID:RCBeI2uj
じゅうべいは逃亡中デスカ?

555 :じゅうべい:02/05/23 11:57 ID:siFs5Lrw
>>540
「中央そのものの支出はここに計上されていないというのは十分に考えられる」
根拠となる史料はどこにあるのでしょうか
『延喜式』では山城国に対して国分寺料・嘉祥寺料・海印寺料・元慶寺料・円覚寺
料・東光寺料・文殊会料・修理駅家料・池溝料・救急料・交易蒭料が計上されてい
ますので、「中央そのものの支出」であっても計上されています

「京都は特異な例」だという但し書きがあるわけではなく、それを推測させる他の史料
があるわけでもありません
私が「強引過ぎる」と言っているのは、「京都は特異な例」だという結論が何を根拠と
して導き出されたのかがわからないからであり、松本氏は史料の読み取り方に根本
的な誤りがあるのではないかと考えるからです

松本氏が「京都は特異な例」だとする根拠となる史料の提示をお願いします

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/23 23:30 ID:7P9W0LAW
>555
それで山城に俘囚料はどのくらい計上されているわけ ?

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/24 00:03 ID:KdpDFcEF
この前のスレ立屋は百済だったらしい(共同電

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/24 00:11 ID:WHy+TpNP
百済は入室禁止です。

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/24 00:21 ID:WHy+TpNP
135 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :02/05/23 16:45 ID:GzqR/h+A
【長州藩】 正徳3(1713)年
「えた」などが悪事を働かぬように監視すること。居宅や衣類など男女共おごりが
ましいことをさせぬこと。他国の「えた」や遊芸人が村へ来たら必ず代官所に届け
でること。

【岡山藩】 享保7(1722)年
「えた」が西国巡礼を願いでたら「他所にて平民にまぎれる」として不許可にした。

【広島藩】 享保11(1726)年
革田(かわた)の風俗が奢侈となり、身分不相応な衣類を着ることを禁止する。

【津藩】 寛保2(1742)年
「ひにん」や盗人がうろついていたら村で勝手に絞殺したり、入墨をして追放した
りすることを許可する。

【大洲藩】 寛政10(1798)年
「えた」身分の7歳以上の男女に五寸四方の毛皮をつけさせ、居宅の入口にも毛皮
をつるさせた。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/24 09:56 ID:ijR/LmCC
>558 百済は入室禁止です。

って書いている人、だれ?
どうして禁止なのか理由を言ったら? でないと、君が変な団体かと
思われるよ。



561 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/24 10:52 ID:6GRur87W
>>556
計上されてないんだってば、ちゃんと読めよ

562 :じゅうべいさんへ:02/05/24 11:01 ID:HBaaZ5NG
俘囚料っていつの時代の話?ところで。

563 :これ?:02/05/24 11:18 ID:HBaaZ5NG
http://isweb2.infoseek.co.jp/~maoda/ihaisaki.html

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/24 23:19 ID:yUGB3wwL
>560
>>547

565 : :02/05/27 23:06 ID:NpNksek6
あげておきます。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/28 00:30 ID:z87+cSFI
京都のみならず、大阪、奈良、和歌山でも
俘囚料が計上されていないことを考えれば、俘囚が移転されなかったのでは?
俘囚がエタ身分になったことは否定できないが、
多くのエタ身分は雑多な職業人、逃亡者が主要であるというのが、
大筋の理解。
いずれにしても、証拠となる史料は大変少ない.

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/28 12:57 ID:09TQD6O8
>俘囚がエタ身分になったことは否定できないが、

少ないなりに「証拠」を出せや、ゴルァ!

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/28 16:08 ID:PGBeb+Qz
しかし古代遺跡の近くに部落が多いのは事実では?

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/28 16:28 ID:q+XbrW8J
難波のことは夢のまた夢
京の都も夢の途中
江戸のことはウツセミ

570 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/28 17:20 ID:rzP7Aqjo
>567同意!
>568同意!
>569?


571 :566:02/05/28 17:33 ID:Y6cbPEZC
滋賀県の少数点在部落で、「蝦夷が先祖」というところがいくつかあるようです。
ただし、「言い伝え」の範囲なので、史料があるわけではありません。
だから、「蝦夷ではない」とは言い切れないだけのものです。
私の知っているのはその程度です。「自称」ですから、証拠はありません。
だから、松本さんの意見には賛成できないのです。

572 :566:02/05/28 17:46 ID:YgTG16jG
「言い伝え」であっても「蝦夷起源」のエタ部落は少なすぎます。
松本さんの言うように自他ともに「蝦夷の血統」を重んじていたなら、
もっと「伝説」が残っていてしかるべきです。
したがって、ほとんどのエタ部落は、別の起源だと思います。
まだ解明されていませんが・・・

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/28 17:54 ID:jqtEr2nd
方言島 というの知ってる?
明らかに方言が異なる地域があるようだね。

574 :566:02/05/28 18:07 ID:Rca7Br/f
「蝦夷起源」よりも、「平家の落ち武者起源」の方が、
伝説多いかも・・・(^o^;

575 : :02/05/28 18:28 ID:02g9MJgt
平家の落ち武者の中でも地主になっている家もあるよ。

576 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/28 19:03 ID:8FIFbMBQ
文化・風習か何か決定打が欲しいネ。
もっともそんな物があればこんなスレ立てなくても良いけど・・。

亀山と鈴鹿の境い目の畑でビニールハウスに住む建設作業員は
竹細工がめっぽう上手いらしい・・。

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/28 19:17 ID:uWXEaCPR
>576
ヤ◯ギシの農家はBですか ?

578 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/28 19:23 ID:8FIFbMBQ
>577
う〜ん。違うでしょう。
日再やったですか・・。
病院関係の給食屋に卸してるネ。


579 :本当に調査したのかねー?:02/05/28 22:18 ID:pRDHEWxh
【本県におけるこれらの祖先を調査したのだが、西北地域は神功応神帝の支配下
 にある、韓土より帰化した秦韓王および漢王族の末裔であり、当時は靴や鞍、
 衣服を作る者で「手人」といわれた。またはクレハトリ、クレハともいわれた。
 南部はヤマトタケルの東夷征討の際、俘虜となった者の末裔、つまりエミシで
 ある。さらに北畠氏の家来・残党が集団化したもの。そして滋賀県○津市付近
 出身の凋落した民である。古代より所々に住み分けさせられたものと認識する】



580 :本当に調査したのかねー?:02/05/28 22:20 ID:pRDHEWxh
それから、部落の人は肉食が多かったの?
だとすると、遺伝としての糖尿病などの生活習慣病が多いんじゃないか?

581 :本当に調査したのかねー?:02/05/28 22:21 ID:pRDHEWxh
シキモウよりさー

582 :読書しましょ:02/05/28 22:34 ID:AdHe1b8Z
『喜田貞吉』(塩見鮮一郎・三一書房)

喜田は、著者がいうように「忘れられた巨人」です。柳田国男がもて
はらされてきたのに対して、喜田はほとんど取り上げられることもな
くきたことに、塩見さんは義憤を漏らしています。

喜田は、寒村に生まれ、笈を背負って三高、帝大(国史科)と進み、
文部省で国定教科書の「編修官」になります。その間を縫って、あれ
も書きこれも書き、そしてさまざまな論争に首を突っ込んでいます。
その一つに、「法隆寺再建論争」がありました。喜田は「再建」論を
主張しましたが、論争に決着を見たのは彼の死後です。「南北朝正閏
問題」ではポカをしでかし、喜田が編纂した教科書は廃刊になり、一
年間の停職処分を食らっています。 喜田は広大な領域について発言し、
書き残しましたが、学者に転じ、大正時代という自由な空気の中で取
り組んだ、部落問題こそ喜田の巨人性を示す領域だ、と塩見さんはい
います。

喜田の部落研究は日本歴史研究と堅く結びつきます。
日本は「複合民族」である、これが喜田の原資です。部落民異民族説
を採りません。古代では、「皮作り」は技術者集団に属し、賤民では
なかった。良民と賤民の区別は、境遇上のことで、民族出自には関係
がない。皮作りが、忌避されたのは、肉食を排する仏教思想の流通と、
肉や皮を扱う職業のゆえだった。

「異民族起源説」にもとづく部落差別、賤民(貧困)の問題に部落問
題を還元する主張をともに系統的に批判した最初の人が喜田です。こ
の喜田の考えは当時の被差別部落民に大きな影響を与え、水平社の結
成を促します。しかし、喜田は実践的には、部落解放は、部落融和に
よって進む、という方向に賛同します。これは塩見さんにとって痛恨
の極みです。この理説と実行の落差のよってきたる理由を探すために
本書が書かれたといっていいでしょう。

なお著書の塩見さんは江戸時代、江戸の周辺12カ国の穢多頭を代々
引き継いだ浅草弾左衛門研究の第一人者です。


583 :566:02/05/28 23:51 ID:76RqBbFo
↑喜田の言う「異民族説」は、「渡来人説」だからね。
蝦夷ではないよ。念のため。
松本さんは「聞いたこともない」らしいけど。(w

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/29 00:20 ID:ahEm4fU3
いやあ、部落のことを考えるようになって読書が好きになったよ。
いいことだよね。西欧人のように、合理性をもって思考することも
必要だと思うが、な。

585 :566:02/05/29 00:28 ID:jtZsAZrj
日本庶民生活史料集成 第25巻 部落(2) 三一書房:発行 谷川健一:編
にはいっている 「貧民窟と少数同胞」 経済学士 井上貞蔵:著 大正12年
に拠ると、兵庫県の起源分類は、
原始人の子孫 部落数:3/231    =1.3%
       人口:1124/67902 =1.7%
となっている。
史料によるものではなく、恐らく聞き取り調査によるものだと思うが、
自己申告にしてもごく少数だね。
「そんな人もいる」という程度。これは、現在の一般的な評価と変わっていない。

586 :566:02/05/29 01:25 ID:fylVbqqr
延喜式(延喜5年、905年)によると、
播磨(兵庫県南東部)の俘囚料高が7万5千束でトップクラスなのに、
蝦夷起源B人口が1.7%なら、「現時点では相関関係は認められない」
というのが常識的な判断。

587 :百済*浪速の夢はさておいて:02/05/29 16:18 ID:jadcCGrK
580 :本当に調査したのかねー? :02/05/28 22:20 ID:pRDHEWxh
それから、部落の人は肉食が多かったの?
だとすると、遺伝としての糖尿病などの生活習慣病が多いんじゃないか?

 私も、そう思うけど。。。父が糖尿病であったことについて。
 父の父(つまり祖父)も糖尿病でありました。
 母はそういう遺伝性の、しかも昔の百姓家で遺伝性の糖尿病
 に父がかかったことについて嫌な顔をしていました。
 「そういう血筋! あああ嫌だ!」ってなこと。

588 :白山東光:02/05/29 23:34 ID:ToR+032n
>松本閣下
結婚相手が同和・・その2
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/rights/1022156729/
でご活躍でございますが、こちらのスレもよろしくお願いいたします


ついでで申し訳ございませんが 部落の起源1で

146 名前:珍味 投稿日:2001/08/03(金) 23:07 ID:ArVH3YAI
>部落の起源
>これの結論だけど

>穢多系の起源は
>肉を喰って皮を着る種族の集落と
>ハンセン病などの病気を隔離した集落というのが
>一般だよ

>本などを読めば一発

その一発で理解できる本を
ぜひこのスレに集まる迷える子羊たちにお示し下さい


589 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/30 00:28 ID:0iF8s8Um
松本ポン太ちゃんって、
他スレじゃ面白くないねぇ。
日本語、ちゃんと読めるのかどうかも怪しい感じだし。
説明も要領を得ないし・・・

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/30 00:37 ID:H+SKI9pp
少なくとも、数学と理科には弱いみたいだね。

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/30 10:03 ID:1jdofuDq
今思ったのだが、松本ポン太ちゃんは、
「B=異民族説」を「渡来人」ではなくて、
「縄文人」とかってに勘違いしてただけじゃないのか?

592 :白山東光:02/05/30 18:04 ID:WWRuJsuC
>>591
閣下が間違いなどするはずがございません
人権板で閣下が間違いを認めた事がございますか?
勘違いとあなたが思った箇所は単なるタイプミスですよ

多分

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/31 00:31 ID:PT/AohNW
タイプミスかもね。(・∀・)

前スレ
734 名前: 松本 投稿日: 01/12/20 07:51 ID:qfWchkY+

>732
>破戒に限らず、B民の異人種説と言えば、
一般的には渡来人説のことですよ。

聞いたこともないね


594 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/31 00:55 ID:ICMLiBox
こんなのもありました。

同じく前スレ
712 名前: 松本 投稿日: 01/12/17 23:37 ID:q9+Cw4Ma
破壊はその異民族という表現のため街道から修正を強要された
異民族というのは概ね事実だし当時からその事実が知られていた。
それが重要なんだよ

739 名前: 721 投稿日: 01/12/21 09:40 ID:/04d9KcS
新潮文庫版「破戒」の解説にあるように、1954年(昭和29)部落解放全国委員会(現街道)は、
「破戒」初版本の復元を歓迎している。(p415)
誤っている説であることを承知で、「朝鮮人、支那人、ロシア人」説を復元させることに賛成した。(p13)
ここで既に、渡来人説が説明されている。(渡来人説は戦前までかなり一般的だった。)
小説の冒頭の部分だから、よく読んでおかなく茶ね。
その前に、1938年(昭和13)全国水平社も「再版支持」を決議している。(p398)
1939年(昭和14)改訂本は、藤村自ら水平社が相談にのることを希望し、自分の意志で改訂している。(p399)
したがって、街道が圧力をかけて内容を変えさせたわけではない。
ただし、筑摩書房の姿勢は批判しているようだね。
街道が良くないことをたくさんしていることはわかるが、糞味噌一緒にするのは良くない。
松本ちゃんほどの読書家が、渡来人説を知らないとは!

750 名前: 松本治一郎 投稿日: 01/12/27 21:02 ID:dV40z+ly
>739
そこの痛いバカ
人に指摘される前に自分で気付けよ
武士の情けだぞ

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/31 01:56 ID:K1kBFJKc
>>594
本などを読めば一発!(松本ポン太)

ですな。確かに。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/05/31 19:13 ID:b5Mmicn1
松本あげ太

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/01 18:07 ID:vroYynhK
松本ちゃんのいぬまに・・・
近世のB間のネットワークをもっと調べたいんだけど、
良い本や史料はありませんか?

598 :デバガメ:02/06/02 03:34 ID:hPuCH/pi
松本氏もそろそろ潮時かな
ハンドル捨てるときは暴言吐きまくりで逃げていくからな(藁
そろそろ言ってくれよ
「写真と文章で たくさんの一個人を攻撃することすら可能なくらいの 資料はあります。」ってよ。


599 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/03 10:32 ID:pdimTuRA
>>597
「近世のB間のネットワーク」?
やつらはケダモノで近親相姦ばかりしているから、
そんなものはないぞ(藁)

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/03 16:56 ID:wzc+gRV6
あらしは放置あげ

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/03 20:25 ID:2EfLUXg+
それ自体が相手をしていることなんだよsage

602 :もっこす(只今奮戦中) ◆08EeniEM :02/06/03 20:39 ID:rmUfJkFz
>>597
どうして、そんなマイナーなテーマに関心があるの?
確かに、各部落は産業的なつながりがあったからね。


603 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/03 23:51 ID:ZlzH6BTt
マイナーなテーマなのかなぁ。私もちょっと興味があるんだけど。

最後の弾左衛門は神戸出身、その前の弾左衛門は長野出身なんだよね。
いずれも聡明さを買われて弾家の養子になっているんだけど、
広範囲のネットワークがなければ、全国から聡明な子を探すなんてことは
できないことだよね?

士農工商、どの階級も世襲が基本だった時代に、
血筋でなく実力で後継者を決めているということも驚きだけど、
これにも何か理由があるのかな?

穢多の仕事は「番」と「皮」。
「番」には、各藩の動きを監視することも含まれるのかな?

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/04 08:09 ID:tdfZoLKF
アフガニスタン国境に近いパキスタンに「クエッタ」という町があり、
そこには日本人にそっくりな人々がいるそうだ。
かれらは教養もなくいわゆる下層階級を形成しており、現地の人々から馬鹿にされているらしい。

この「クエッタ」から日本列島に渡来して来た人々が「エタ」と呼ばれたのではあるまいか?
「ク」の発音は、聞き取り難く「クエッタ」→「エッタ」「エタ」と変化したのでは。

なお、日本人そっくりな人々に、「ブリヤート」がいるが、かれらはバイカル湖の周辺に暮らしている。



605 :597=京都B:02/06/04 22:02 ID:CX98a6ru
自分でひとつめっけ。自作自演だね。自問自答かな?

「近世部落の史的研究 上」部落解放研究所編 解放出版社 の中の
「被差別部落の成立に関する一考察」寺木伸明 の「むすびにかえて」によると、
1606年(慶長11)加賀藩(石川県南部)が播磨(兵庫県南西部)から皮多を移してBをつくった。
1609年(慶長14)越中(富山県)で近江(滋賀県)から皮多を移してBをつくった。
1635年(寛永12)美濃(岐阜県中南部)で尼崎付近より製革工6戸を招致し、
太鼓・馬具を調進させた。
など、藩を越えたネットワークどころか、移住が行われた例が示されている。
他にも例示がたくさんあり、当時このような事が多かったことを示している。
その理由は未調査ですが、注釈に原史料が示されています。

明治維新前後にBが形成された例も示されているので、ご参考までに。

606 :学生:02/06/04 22:38 ID:YDwf0uhx
国際問題の講議で今日は欧州についてだったんだけど、すごいの発見!
スペインの山岳地域にバスク人って人々が住んでるんだけど、その人達
はスペインからの独立を目指してるの。で独立に向けて創設された組織
の名前が「バスク祖国と自由」略してETA!!!エタですよ!!!
なんかやばくないですか?先生は普通に「〜〜エタです。」って言って
たけど。

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/04 22:39 ID:qReEFdf1
バスクは言語も違う。ロマという。

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/05 00:05 ID:zoPElgTs
>>604
夢を膨らませるのは勝手だが?

>>606
エタがそんなに面白いか?

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/05 14:16 ID:8N+a9Yg/
>>605
597じゃないけど、
穢多(武具職人)が藩の移動にともなって移住させられているということと、
穢多部落間のネットワークがあったということは矛盾しないんじゃない?

穢多部落を渡り歩いていたサンカもいたわけだし、
幕府のお庭番なども賤民扱いなんじゃなかったっけ?

何らかのネットワークがなかったとしたら、
江戸の弾左衛門の後継者が神戸や長野から選ばれているということを、
どう説明するのよ。

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/05 14:37 ID:HWJgq9oi
>603 最後の弾左衛門は神戸出身、その前の弾左衛門は長野出身なんだよね。

ということは19世紀の話でしょ? 諸民の移動が禁じられたのは17世紀後半
までだと思うけど。19世紀は、そろそろ幕藩体制がほころんできた時期で、
弾家は東日本12カ国以外の摂津?や信濃の同民が登用されたのかもしれないね。

611 :”管理”人:02/06/05 14:44 ID:867CrI8I
「部落民をガス室へご案内」は削除しないことになってます。

以上

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/05 17:05 ID:kvNyyNuP
禁じられたのは自由意志による移動。


613 :京都B:02/06/05 19:57 ID:n3mW2rOD
>>609
>穢多部落間のネットワークがあったということは矛盾しないんじゃない?

そうですよね。むしろ、ネットワークを強めると思うんですよ。
親戚、友人、知人は元の土地に残っている可能性が大きいわけだからね。
京都市内では、近世、B間で人の移動がありました。婚姻も含めて。
B村間の上下関係もあったようです。

614 :604:02/06/06 04:27 ID:Z8N3AvJJ
もうご存じかも知れないが、母方のみに連綿と伝えられる「ミトコンドリアDNA」の研究によると、
日本人(本州人)のミトコンドリアDNAの構成比は、日本人特有な成分=5%弱、中国人特有な成分=25%、朝鮮人特有な成分=24%、残りはアイヌ、その他、となっている。

日本人であるにも関わらず、日本人特有な成分=5%弱 という事実。そして朝鮮、中国系の成分の方が多いという事実。
これは、我々の先祖の大部分が渡来人で構成されてミックスされたということを現している。

当然、「部落民」と呼ばれる人々も渡来人の子孫であり、比較的に混血を免れている、ということだろう。



615 : :02/06/06 20:12 ID:oWCg1m7I
定期age

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/08 13:51 ID:o/Z493fE
>>563
これを見ると、現在の被差別部落の分布とまったく一致していないことがよくわかる
これを根拠として俘囚説を主張することができるないのは明らかだな

まあ、松本閣下のことだから自分に都合がわるいことは「例外」の一言で済ませて
しまうんだろうな(藁)

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/08 14:23 ID:koPuTTnv
↑ むしろ、この分布は平氏、坂東、伊勢平氏の発祥と成り行きに近いね。
エミシは坂東武士に繋がるとも思われる。

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/08 14:25 ID:koPuTTnv
よって、エミシの起源とBを混同するなかれ。近江国にエミシ俘囚多いのは
同国が鍛冶技術の本山であったから?

619 :https://mokorikomo.2ch.net/:02/06/08 19:14 ID:hnlwYiMr
東京都目黒区碑文谷 28才 男性 SY

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/08 20:14 ID:vVrAoelX
>>606
それはすでに呉智英がネタにしている。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/09 10:08 ID:TF4SaDPk
>>617>>618
肥後や筑前にも俘囚は多いんだけど?

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/10 19:12 ID:XEHsZpxx
鍛冶で思い出したが桃太郎は大和時代の実話を元にしている仮説があるね

623 :七氏:02/06/13 05:54 ID:F1r3+dbr
あげ

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/14 13:06 ID:boVAGctf
松本ちゃんからの反論は?
またトンズラですか?

とりあえず一言言っておこう


「史料を出せや、ゴルァ!!」

625 :京都B:02/06/15 20:48 ID:cp5VYVCv
近世のB間ネットワークについて

「諸式留帳」(日本庶民生活史料集成 第14巻 部落 三一書房 谷川健一編 所収)によると、
京都天部村出身の庭師・下村文六は、1708年(宝永5)京都以外の藩のエタ村も管理しており、
摂州(大阪府西部、兵庫県南東部)13村から40人、
江州(滋賀県)13村からも40人、京都・二条城の掃除役にあたらせていた。
京都も含めると、3724人。

「日次記事」(ひなみきじ)によると、
京都の正月は、方々から芸能が集まり、
大和(奈良県)の千寿万歳、因幡(鳥取県東部)の猿まわし、
兵庫県西宮の傀儡師(かいらいし)、万歳楽、春駒等、
伊勢の太神楽、茨城県鹿島の事触れ、京都大原の巫女、へついはらい
等でにぎわっていた。(「京都の部落史1」 京都部落史研究所 阿吽社 p342)

茨城県からも全国を回って来ていたというから、驚きだね。

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/16 01:36 ID:YssSVU6H
滝沢(瀧澤)って怪しいですか?
どうも父方が、やたら兄弟が多く
定職についてない人もいたら、家も川に近いし
祖父も自営業。ちゃんとした企業に勤めている父方がいない(泣)
もしかして、由緒正しくBなのかな・・・・。
どうしよう?怖くて聞けません。

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/17 01:03 ID:xr77xw1E
>626
>ちゃんとした企業に勤めている父方がいない(泣)
ビンゴです。泣いてください

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/17 04:18 ID:kFcis7nj
名前で判別つかないのは、他スレで論証済み。

629 :626:02/06/17 09:30 ID:yn++J6Yy
>>627・628
レスありがとうございます・・・
今まで「ならず者」が多いと思っていた親戚が
ここで差別されているBなんだと思うと、納得できてきました。
なんか自分が否定されたような、自信がなくなってきました。
結婚する時等、戸籍見るとバレちゃうんですかね?
まだ決定ではないにしても、何か後ろめたい事があるって嫌ですね。。。
鬱だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/17 11:54 ID:tChslkZy
>>629
何も、悩むことないよ。天皇と同じくどうってことない歴史のなせる産物だ。
あなたが、あなたであることが大事なのだから。
ゆめゆめ、変な「貴族」にならなけりゃいんだよ。

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/20 16:54 ID:MknbGsm0
やっぱり松本閣下が来ないとスレが盛り上がらないね…age

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/21 01:51 ID:VSAV79i4
しかし、松本「定説」で振り回されるのも、レベルが低くなるしな。
枯れ木も山のにぎわいか?

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/23 00:25 ID:YKZjsa6m
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi2.htm
に書かれてあるのですが、

>弾左衛門は配下五十人をつれて乗り込み、見物の大名が居並ぶ前で
>舞台を滅茶苦茶にしたのでした。

こんなこと、仮にただの町人なら出来るのでしょうか?
当時から大名ですら口を出せない利権を持ってたという事でしょうかね?

634 :.:02/06/25 19:48 ID:tXmHcMkm
.

635 :部落民の坂東の目を抉り出そうぜ!:02/06/25 21:39 ID:7zDTYVX+
ぎゃっはっはは

いいぜいいぜ<<<< 阪神大震災は大笑いだぜ! >>>>>

死者1000人ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)
あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
どちらにしろヘリからの映像はまさに温泉町のようで壮観だった!
坂東孝信は朝鮮人の部落民だよな。
手足をもぎ取ってなぶり殺そうぜ。
まだ死なねえのかよ、この糞が!
ナイフで坂東孝信のハラワタ抉リまくろうぜ!


636 :一応ageとくけど…:02/06/29 12:57 ID:3b7eL9i8
松本が来ないから、このスレもそろそろ終わりかな?

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/29 13:23 ID:W+17ePT7
>>635
天皇が被災上状況を視察に来たとき、苦楽園夙川BのDQNが避難所で
皇后に泣き付いたのは見事だった。やはり「天皇家の奴隷」の夙川芦屋神戸
のBにとってはいまでも皇室がよりどころで、一番頼りにしているのを見て
しまったようで、貴重なものでした。


638 :鈴木AGE男:02/07/02 17:55 ID:d8Qrt37h
良スレAGE
    

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/02 19:03 ID:RU0ngG9i
 マジレス、明治以前の部落って、小作人より貧しかったの?
昔の小作人は米さえ食べれなかった、らしいけど、それなら
え●、ひ●んは実際どうだったんでしょうか?家とか路上生活?

640 :もっこす ◆08EeniEM :02/07/02 19:13 ID:X/TtjZrg
当時の経済体制に賎民部落も組み込まれていました。
皮革製品とかの製造流通を担当していたわけで、小作人とは比較にならないくらい豊かな生活をしていました。
小作人は米はすべて年貢として納め、裏作で作る、粟や稗などの雑穀、野菜などの生産で生計を立てていました。


641 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/02 19:28 ID:vCZQjCo3
それじゃ、部落の起源というのは「部落窮乏化の起源」のことなんだな。
部落って、何で貧乏になったの?

642 :百済:02/07/02 19:37 ID:UuvcXKe/
明治の富国強兵。近代産業革命。部落産業の疲弊。地租改正による家系破綻。

643 :もっこす ◆08EeniEM :02/07/02 19:39 ID:X/TtjZrg
部落問題の発生というか社会問題になったのは1900年くらいからですね。
この頃には、その部落の出自がわからないものをひっくるめて「特殊部落」とか「未解放部落」といっていました。
きちんと起源がわかっている貧乏人部落は「細民部落」と呼ばれて区別されています。
だから、厳密に言えば、江戸期の賎民と部落とは重ならない部分もあります。


644 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/02 22:44 ID:xQ9hHAYa
なんだよ・・
結局、部落差別なんて実体はなくて、エエ暮らしできてたんやないか!
それで同和対策事業?地区改良?生活保護?みんな詐欺やったんやな。
糞エタが・・

645 :百済:02/07/02 23:38 ID:fKwcCzYM
それは違うでしょ。中江兆民以前よりレポートはあったし。踏まれた人の気持ちが《あった》時代。

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/02 23:46 ID:Wh3pSwGe
>>644もっと勉強しようね。
豊かな生活が「保障」されていたのは遠い昔の事。
最後の1行どんな事があってもいうべきでない言葉だと思うよ。
もちろん現在の部落行政に対する批判や、不良部落民に対する批判は
あってしかるべき。
物事を自分の都合の言いように理解してはいけないよ。
差別の正当化は理解不足。同和対策事業も地区改良も詐欺などではない。
その中に問題があっただろうけどね。
君の発言は街道が喜ぶ無理解差別発言と思うよ。
逆差別を解消させる為にはよく理解してよく考えてね。

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/03 00:11 ID:LrVojkDZ
ここは信仰の自由を認めない心の腐った在日が気持ちの悪い議論するスレですか ?

648 :百済:02/07/03 00:21 ID:a5L85cI/
違うよ。

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/03 02:58 ID:Ft26dmmL
本当に経済力があったのだったら、いまの部落民にもうちょっと品と
知性があっても良いと思うのですが。
いくら特殊な商売をやっていたとはいえ、いまと違って楽して儲ける方法
は無かったわけでしょ?
賤民であっても自助努力によって生活水準を向上すれば、
何代か後には品と知性を身につけると思いますが、
それを身につけられなかったのは何故なのでしょうか?

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/05 08:23 ID:KZhyRSPG
すべてのエタに「経済力」があったわけではないし、それと
「品と知性」は関係はないと思うぞ

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/08 12:14 ID:BTxRoYKx
TEST

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/10 01:20 ID:Ju3yhZOq
松本降臨中
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/rights/1004354558/l50

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/13 13:11 ID:8T066gQ0
松本はここから逃げて
奈々氏でしか出られなくなった。age

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/13 19:44 ID:6P7+uNK4
今更だけどさあ〜、松本ってどう仕様もないヤツだな

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/17 18:20 ID:4epZQQWl
このスレかなりヤバイな
松本来ないかな、くれば少しは盛り上がるのに…

656 :もっこす ◆08EeniEM :02/07/17 21:26 ID:Yv1MaIAu
>>649
今の部落民と当時の賎民とは、血筋的には重なりません。
あなたが大学生で、部落問題を研究している先生をご存知なら、一度調査に同行してみてください。
あまり詳しく書くと、プライバシーの問題が起こるので立ち入りませんが、賎民の直系の可能性のある人は1%以下とか。


657 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/17 22:59 ID:VhHTxGWi
>賎民の直系の可能性のある人は1%以下とか。

いくらなんでもそれはない。

658 :もっこす ◆08EeniEM :02/07/17 23:02 ID:Yv1MaIAu
>>657
だから、具体的な調査資料が知りたければ、専門の先生に聞けばいいの。
血統調査の結果なんて、よほどの信用がなければ教えてもらえないからね。


659 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/17 23:13 ID:7ZHhbfKm
「韓国は戦勝国」の資料はどうした?>もっこす

660 :もっこす ◆08EeniEM :02/07/17 23:14 ID:Yv1MaIAu
>>659
韓国に売ることに決めた。
国定教科書を目指そう。

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/17 23:21 ID:wFjrlWiE
でたらめばかり書くから、ごまかすしかできなくなるんだよ。

662 :百済:02/07/17 23:28 ID:35sdbdPc
「韓国は戦勝国」というムードは戦後に少しあったよね。

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/18 08:32 ID:9P/m4kD2
>>658
「よほどの信用」とやらが自分にはあるような書き方だな
雑誌などに発表されている「具体的な調査資料」ならば、
誰でも目にすることができるはずだぜ

664 :とりあえず:02/07/18 21:07 ID:CqVYGEBK
私はあまり歴史に詳しくなく本もあまり読みませんから推測しか言えませんが、
趣味で東北地方の伝承や近所の旧跡、民俗的風習の違いなどを見た経験から見るとやはり、
俘囚=異民族(蝦夷)とか、蝦夷→エソ→エタという図式はすっとは私の中に入ってこない話の様に思います。
もちろん、俘囚である以上、支配階級に属さない事は一目瞭然ですが、端的に言えば、>>384さんも書かれていますが、
皮の鞣しの技術というのは元々蝦夷の地にはありません。
一方、牛馬の飼育といったようなものは例を挙げるのはたやすく、
実際、現在でも馬や牛の飼育技術は中世〜近世を経て現代に受け継がれています。
そして、特に馬などは信仰の対象にすらなっているところさえあります。
強調しておくべきことは、それが「現代まで継続している」という点です。
鉱山技術にしても狩猟にしても、元々民族的に持っていた特徴はかなり後世まで受け継がれています。
他にも思い当たる点はいろいろあるのですが
取りあえず同じ牛馬でも皮鞣しや解体といった職能が伝えられていないという点を考えただけでも
やはりエタとしての職能集団は蝦夷とはまた出自が違う人たちが担っていたのではないでしょうか?

665 :部落民の坂東の目を抉り出そうぜ!:02/07/18 21:23 ID:DX41p1yx
peppe
<<<< 阪神大震災は大笑いだぜ! >>>>>

死者1000人ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)
あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
どちらにしろヘリからの映像はまさに温泉町のようで壮観だった!
坂東孝信は朝鮮人の部落民だよな。
手足をもぎ取ってなぶり殺そうぜ。
まだ死なねえのかよ、この糞が!
ナイフで坂東孝信のハラワタ抉リまくろうぜ!


666 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/19 11:20 ID:yTEksU7r
野蛮な縄文人と文明を持った弥生人は混ざりあわなかったというのが
松本っちゃんの説みたいだけど(その根拠は”ありえないから”)
文明の進んだ征服者とそれほど文明の進んでない
原住民が混血した例がちゃんとあるんだよね。


667 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/20 13:49 ID:KulNSVD1
南米のメスチーソとかですね

その程度のことも知らないなんて、松本さんは日本史専攻なんですよね?

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/20 18:12 ID:i2yvY1Hf
メスチーソもそうだし、古くはローマ人ってのもあります。
ローマ人はガリア人とかゲルマン人を積極的にローマ軍に組み込んで
兵役後はローマ市民権を与えた。
ラテン系を含めたローマ軍兵士は兵役終了後、未開な属州地域に作られた
基地にとどまり、現地の女性と結婚して住み続けた。
結果として未開な属州民のローマ化がなされ(ヨーロッパにどれだけ
ラテン系の言葉を話す地域があるか見てみればよい)
ローマ軍基地だった場所は今でもヨーロッパ有数の都市として
発展している(リヨン、ケルン、ミラノ、ボン、ウィーン、ベオグラードなどなど)。

ローマには日本と違ってこのとき高度な文法を発達させたラテン語があって、
ラテン文字を使った文章としてきちんと残っているんだから、
文明の発達した民族が未開の民族と交わるわけがないなんて
いえないよね。

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/20 23:12 ID:5HNJIuBP
松ちゃんは日本史専攻ではないよ。
本当の専攻は遺伝学だよ。

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/20 23:21 ID:i2yvY1Hf
遺伝学の知識にしてもひどいもんだよ。
その指摘は前スレでの公三さんのレスにつきるんで、
あえて重ねて書きませんが。

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/20 23:29 ID:5HNJIuBP
では社会学専攻ということで。

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/21 22:51 ID:GZWebKTQ
腹話術がはじまった。

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/22 00:22 ID:OzabZNM/
松本さんは高卒だと思うよ
だから専攻科目はないよ

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/25 09:39 ID:LO+kQYTi
中学の地理でメスチーソについて習ったけど…

もしかして松本さんは中学中退ですか?

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/25 23:40 ID:l9aMLS/M
公三くんの腹話術も板についてきたネ。

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 00:50 ID:9K3DYJ55
埼玉県でBの地区ってどこ?

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 01:03 ID:mRV7miMi
>>676
キミが住んでいる、まさにそこがB地区です。

678 :話を元に戻して:02/07/26 02:07 ID:ocK7lboe

部落の起源は、中世にまで遡るらしい。ただ詳しいことにはいくつか説がある。

1.謀反者・犯罪者収容説
2.伝染病患者隔離説
3.異民族・外国人街説
4.平家の落人説
5.負債者・日雇い労働者溜まり場説

漏れ的には、どれも正しいように思われるのだが。でも最初に聞いた話は4だった。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 03:45 ID:G7LxarI9
落人説って逆だと思ってた。
つまり、曰くつきの集落の連中が「俺達は平家の落人」と騙っていたのだと。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 04:15 ID:ctU/TACB
大和朝廷の日置部説はどうでしょう?
仏教伝来前の関東の話ですが、
東京某市の白山神社を線で結ぶと、非常に正確な正三角形もしくは二等辺三角形が浮かぶそうです。
これには高度な測量技術が必要になるという事で、正確な測量技術を持った支配階級が
関東平定後にそのまま、地域守護的な職に就いたのでは無いかという話です。
蝦夷と呼ばれた人々をそのまま守護にした可能性も指摘されています。
その後、地方豪族、武家、仏教の台頭と共に、だんだんと差別視されていったという説です。

話の信憑性としては、
1、街道筋(要衝)に点在する部落。
2、神社の格としては決して低くない(古い)アマテラスの白山神社。

2chに集う識者の見解を聴いてみたいです。

681 :  :02/07/26 06:55 ID:YgsivLCD
そんな立派なもんじゃねえよ、川原に集まった乞食が
起源やろ。

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 07:16 ID:SFVBJwkQ
>>680
素人で趣味で調べていると時々同じように思うときがある。


683 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 12:32 ID:SyRhvOvK
>>680
白山神社の祭神って、アマテラスじゃないだろうが!

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 20:01 ID:EJPK6R0M
菊理媛神

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 20:18 ID:Pfti5RM2
>>679
平家の落人ってのは、必ずしも良い評価を受けるとは限らないよ。

たとえば源頼朝は、鎌倉幕府を開いた時に「平家の落人が日本全国で再び悪
さをしないように、全国に守護と地頭を置いて取り締まる」という名目を立
てて、朝廷を納得させつつ、その支配力を強化したというし。

沖縄などでは、平家の落人は、追っ手から逃れるために平良(たいら・ひら
ら)と苗字をを変えて、自分の家柄を尊重しつつもうまく逃げ延びたという
し。

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 20:29 ID:Pfti5RM2
>>680
元々、社会的に高い地位に就いていた職業集団が、政争やその他の理由で被
差別階級にまで没落した、という視点から考えると、それはなかなか面白い
発想かも知れない。

かつてこの板の中でも、どっかのスレで「古墳時代に古墳を作り、朝廷や豪
族から手厚い優遇を受けていた人々が、奈良時代や平安時代に入り、古墳文
化が衰えて、墓場を作って守る・気味の悪い存在として考えられるようにな
り、差別されるようになっていった」とかあった。

「農民にわざとエタ・ヒニンとして差別させ、隔離させておいて、実は農民
よりも甘い生活を送っているのを、農民に気付かれないようにするため、被
差別階級の制度を作った」などという大胆な発想もあった。ルパンV世のア
ルカトラズコネクション、と同じ発想。現在の同和対策事業で、甘い汁を吸
っている業者や組織などを見て、連想したのかも知れないが。

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 21:53 ID:7q0aCg4I
単に河原乞食や風俗程度でこんな差別受けるとは思えない。
今だと足立コンクリ殺人レベルの鬼畜の末裔でわ?
今中上健二を読み返しているが、「路地」では近親相姦や輪姦、
ヒロポン、犬を生きたまま八つ裂きなんてことばかりやっている。
こういう野蛮で衝動的な人種が大和民族に存在し、Bとして
忌み嫌われてるということでよろしいか?

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 23:11 ID:DbqzWBPd
>>687
ヒロポンかよ、をい! ちぃと話しが古過ぎないかぃ?

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/26 23:19 ID:SFVBJwkQ
素人考えだが、bの発祥はやっぱり国が作って、国が騒いで、
国が補償しているとしか思えない。


690 :689:02/07/26 23:23 ID:SFVBJwkQ
685>。
>たとえば源頼朝は、鎌倉幕府を開いた時に「平家の落人が日本全国で再び悪
>さをしないように、全国に守護と地頭を置いて取り締まる」という名目を立
>てて、朝廷を納得させつつ、その支配力を強化したというし。
言いたかった事は、685に書いてあった。


691 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/27 16:57 ID:c6kBO9Ra
>>687
逆だと思う。些細なことから差別を受けてひねくれて凶暴になり、
さらにきつい差別を受けてまたさらに凶暴になる、の繰り返しではないかな。

692 :名無し募集中。。。:02/07/27 18:23 ID:AMZRdkfM
レンタル店に高岡先主演部落役のビデオがありました。
明日借りに逝って抜きまくります

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/28 08:53 ID:+4MKxApX
平家の落ちが開いたという「伝承」を持つ集落は西日本に多く存在しています
有名なところだと、徳島県の祖谷や宮崎県の椎葉、熊本県の五木などがあります

これらの集落は「曰くつきの集落」というわけではありません

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/28 14:08 ID:7Dh8t3NM
>>691
ひねくれた位で猟奇殺人や、昼からパチンコとは考えにくい。
何代も続いたそんな家庭環境にも同情するけど。
引き続き中上健二を読んでいると、隠蔽されたBに関する情報の中、
「いや、Bと貧民はイコールではない」というカキコや、
Bが掌握している強大で未知な利権について知らされる度、首を傾げること
ばかりだったが、やはりBは被差別階級認識に至る。
というのは、中上の小説世界は今よりずっと昔だけど、
自堕落な生活ぶりにも関わらず、怪しげな権力によって財をなすものもおり、
ダンスホール三昧、毎日飲んだくれ、女郎を買ったりで、当時の貧しい庶民の生活
とは比べ物にならない結構なものだ。
Bは力があって、金持ち、ということが言える。

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